Interview 004
2022/05/20
惑星科学者
元・JAXA広報部
寺薗 淳也さん
TERAZONO Junya
惑星科学者
元・JAXA広報部
寺薗 淳也さん
TERAZONO Junya
岡本
本日のインタビューのゲストは、寺薗先生に来ていただいております。 寺薗先生こんにちは。本日はよろしくお願いいたします。 寺薗さんとも気づけばだいぶ長くお付き合いをさせていただいておりますが、こういう形で話をさせていただくということで、ぜひ壁を作らずに?改まり過ぎずに、お話をさせていただければと思います。 今日は寺薗さんに、宇宙の話をしていただきたいなと思っているのですが、寺薗さんが今までやられてきているバックグラウンドに、僕は凄くシンパシーを感じておりまして、その中で、最近の宇宙の流れというのはだいぶ変化していて、この5年10年で急激に変わっていると思うのですが、その辺りを含めてお伺いできればなと思っております まずは、寺薗さんの自己紹介も含めて、どのようなことに取り組まれてきたのかということを伺えればと思います。
わかりました。私自身もちろん宇宙の研究をする立場なんですけれども、大学時代は実は宇宙ではなくて地球科学という地質学とか古生物学とかいう分野の方がむしろ近かったんです。それは宇宙に全く興味がないというわけではなくて、宇宙を地球のような見方でみるとどのようになるのかというような形でしょうかね。例えば、宇宙というと多くの方は天文学とか宇宙物理学とかイメージされると思いますし、よく私も宇宙関係の仕事をしていますと言うと、星を見るのが好きだったんではないですか?と言われるんですが、星座とか星をみるとかというよりは、地面ばかりを見ていたので、そう言うと皆さん、???という顔をされるのですが、地面をみる見方で宇宙を見るとどうなるのかなということに興味を持っていました。
ただ当時そういう学問はまだそんなになくて、私がちょうど大学生だった1990年代ぐらいから世界的にちょうどそういう流れがでてきて、そこに上手く乗れたというのがあります。最初はそういう地球科学というか地質学や鉱物学の勉強から入って、たまたまそういうことを研究している先生に出会えて、そこで行ったのが地震学だったんです。月の地震の研究ということになって、移った先が宇宙研(宇宙科学研究所)だったと。
岡本
なるほど。月の地震というのも後でぜひ聞きたいんですが、今までやられてきた中で、特に寺薗さんのイメージと言うと、「はやぶさ」のイメージがすごく強いんですが、そのあたりも含めて進めていただければと思います。
寺薗
はい。地球科学で地面のことを学びたくて地震学に行ったのですが、宇宙と地震を結びつけた時に、月の地震を測るプロジェクトを展開している先生がいるから宇宙研に行ってみないかということになったんですね。その宇宙研で、まさに私が入ったのが、月の地震を測って月の中身を調べるというプロジェクトだったんですが、宇宙研というのはそれに限らずに色々なプロジェクトを同時並行で走っていて、その中の一つがちょうど出来立ての「はやぶさプロジェクト」だったんです。
当時はまだ「はやぶさ」なんていう名前はなくて、「小惑星サンプルリターン計画」という何のありがたみもなさそうな名前だったんですが、そこで「はやぶさ」と関わることになりました。「はやぶさ」というのは硬い地面に降りて物を拾ってくるというプロジェクトでしたから、まさに地質学の延長線というものでもありまして、月の地震も確かに研究もしていたのですが、月の地震のデータというのがなかなか解析が難しくて、ちょっとその方向では行き詰ってき進路に悩みがある中で、転機が訪れたのが1995年でしたかね。
当時はまだJAXAという組織がなくて、文部省の宇宙科学研究所と科学技術庁の下の宇宙開発事業団というところだったんですが、その両者が共同で月探査機を打ち上げる計画をこれからスタートさせるというので、エンジニアリングは得意そうだから、宇宙開発事業団に移って、研究開発をやってみないかということになったんですね。宇宙開発事業団の頃から広報活動というのもやっていまして、なにしろ、月探査を日本で行うというのは、事実上初めてと言うと少し言い過ぎになってしまうのですが、これだけ大きな月惑星探査計画というのは初めてで、しかも宇宙開発事業団と宇宙研が共同でということで行うということで、非常に注目度が高いものだったので、広報活動もしっかりしなければならなかった。しかも月ってやっぱり多くの人が注目するプロジェクトですから、せっかくだからそういうところも含めて広報をやっていかなければならないねということがあって、広報というところに少し足を踏み入れました。
そして2003年にちょうど「はやぶさ」の打ち上げの時期に、後のJAXAの広報部に行くことになりました。2005年には2年前に打ち上がった「はやぶさ」が現地に着くことになり、もともと得意だった画像解析技術も使いながら広報活動をしていました。いろいろと相談をしながら、「はやぶさ」がこういうことをやってますという紹介とか、地球のそばの通り過ぎたスイングバイの広報など、少しずつ実績を積み重ねて、おそらくタッチダウンの時が一番目立つだろうと、タッチダウンに備えていたわけですね。それが2005年の9月から11月にかけて、特に一番重要なタッチダウンの時というのが11月だったんですけれども、それに向けて世間の関心もすごく高まっているので、どういうことを伝えるとそのユーザーが喜ぶのかというかどういうことにユーザーが関心を持ってどういうことを伝えると喜んでどういう風に伝えていかなければならないのかということを色々な意味で、例えば写真をアップロードするとすごく関心が高いとか、逆にしばらくそういう情報がないとやはり関心が下がって何か新しい情報がないかということが出てくる。どんな情報でもいいから情報というのは少しずつでも出さなければならないなということが分かってきて、自分の経験論で広報の世界を突き進んで一大イベントのタッチダウンに向かっていきました。
ただ、「はやぶさ」というのは色々なトラブルを抱えたプロジェクトで、第1回目のタッチダウンの挑戦したんですけれどもそれがうまくいかなくて、第2回のタッチダウンも、その裏ではリハーサルを繰り返し、事実上第4回目の挑戦だったりしていました。その時に、今のようなインターネットでずっと配信するということができない時代だったんですが、タッチダウンに向けての動きを始めから終わるまでところまでを実況中継することに挑戦しました。当時は、管制室という宇宙研で「はやぶさ」の制御を行っている中心の部屋というのが機密情報がたくさんあるので、音声とか映像を出せない。これを何とかするために一応固定角度の映像は出るけれども音声は出ないというような仕組みをとって、関心が高い一般の人が多くアクセスしてくる時にどういう風に情報を伝えれば良いかといろいろと議論をした末にブログと写真で紹介していました。
寺薗
とはいえ、探査機はそんなにコロコロ状況が変わるわけではないので、現在管制室こんな状況ですとか差し入れが来ましたとかですね、今そういう状況なんだなということが伝わったみたいです。徹夜の連続の日々の中、かなり疲れ切っていたので、栄養ドリンクをがぶ飲みし、ビンが積み重なっていっていたのですが、どうやら、そのビンが映像に写り込んでしまっていたようで、その数が増えていることに気づいた人がいて、別の掲示板で話題になったりしました。私たちはもちろんずっと管制室にこもったままですからそんなことは知らなかったんですが、そのタッチダウンは一応うまくいって、タッチして離れることはできたということでほっとした時、あなたたちが飲んでいた大量のドリンクの話題が世界中に流れていたわよと言われて驚いて、でもそんな形でも世の中にうまい具合に伝わってくれたのかな、広報がうまくいったのかもねというようなことを最初に考えましたね。後日談があって、その栄養ドリンクの会社さんから、有名にしていただいたありがとう、引き続きがんばって下さいねということで、2カートンの差し入れをいただきました。
自分の広報哲学がある意味上手く回ったのということを実感しつつ、いろいろな人との出会いから、研究というものに対してもまたちょっと芽生えてきたものがあったので、その後、研究者として大学に移り、研究をしながら、2010年の「はやぶさ」の帰還にも広報として関わりました。その後は、自身の会社を立ち上げて宇宙広報での活動をしつつ、ユニバーサル・シェル・プログラミング研究所というコンピューターのシステムの中にUNIXと呼ばれているWindowsとかMacOSと同じ土俵にはいるんだけれどもかなり玄人向けのシステムをもとに会社の基幹システムを作る日本でも相当例を見ない会社で、宇宙から枠を広げて、IT系広報として、UNIXというなかなか知られていないそういうことを広めることもしています。
広報にも色々な種類があって、一般の人たちが思い浮かべるのは例えば、ニュースのような広報ですかね。例えば今日ロケットが打ち上がりましたとか、昨日「はやぶさ2」がタッチダウンしましたというような何があったというニュースの広報をですね、これが一般的ないわゆる狭い意味での広報です。ただ私が得意としていたしずっとやってきたのが、それよりももう少し時間軸の長い広報活動。例えば、ロケットが打ち上がるとか「はやぶさ2」がタッチダウンするというのはどういう意味があってどういうふうな技術を使ってそれがどういうことを変えていくのかというようなもっとその下にあるようなことを伝えていく、これを「普及啓発活動」、英語で言うと「アウトリーチ活動」というような言い方をするんですけれども、ここの部分というのをずっとメインに活動してきました。
このアウトリーチ活動は時間軸が長くなると教育になるんです。教育は、ある意味伝える仕事でもありますよね。最近は生涯教育という言葉もありますから子どもから大人の方まで伝えていけますが、例えば、普及啓発活動を何回もしていくということが、それを通じてその聞いている人が成長していくということにも繋がっていくという教育になっていくわけです。そういう流れで、今は、IT分野と宇宙分野と両方の普及啓発活動と教育活動がメインに活動しています。
今、どんどん実現してきている。
岡本
宇宙の話に少し戻りながら、今までのお話では、広報までの流れとそこからのアウトリーチというもっと深い流れに進んでいくというのはよくわかりました。その中で、少し前後してしまうのですが、地球の地震という大元の地質学と、そこから月に興味をもって月の地震というのをやっていた時に行き詰まりが出てきたので、宇宙全般のものになってきたと思うんですが、実際、その領域の中で、寺薗さんが元々動かしているものの一つに、「月探査情報ステーション」というのがありますが、その中でも、月の可能性に触れていますよね。
今、月旅行もどんどん出てきていますし、宇宙旅行というのも最近はトレンドとしてキーワードとして出てくる中で、今後、宇宙の領域はどのように発展されていくのかというのを、広報とかアウトリーチをされている立場でどのように見られているのかということをお伺いしたいです
寺薗
広報活動をスタートさせた25年くらい前は、月探査というのはまだまだで、あと10年くらいすれば無人探査機が行けるかもしれないよというくらいの段階でしたし、民間人が宇宙に行けるのも「将来はね」というレベルで、決して、いつ行けるのかというような具体的な話にはなかなかならなかったんです。でも25年経ってくると、お金を持っている方々だったらという意味で、一般人と言っていいのかわからないですけれども、少なくとも宇宙飛行士のような訓練を積んだ人ではなくても宇宙旅行ができる時代にはなってきました。月ということについては、もう私たちの想像をはるかに超えて、また人間が行くことになりそうというような所まで来ちゃったんですね。ここまで来た状況では、例えば、急に止まってしまうとか、逆戻りして全くなくなるというようなことはもうないと思うんですね。
これからは、おそらく私たちが想像してきたような未来というのが広く展開していく時代になってくるのかなと思います。25年前に、月探査情報ステーション、あるいはそういう月探査衛星の開発を始めた時の私たちのキャッチフレーズが「ふたたび、月へ」だったんですね。こだわりがあって、「再び」がひらがなになるんですが。当時は、「ふたたび、月へ」というのは、無人探査機でもいいからとにかくもう一度みんな月に関心を持ちましょうというような意味合いが強かったですね。月探査情報ステーションは、日本人は特に月に関心が深い民族だから、月と月探査、両方に関心を持たせていくことで、もっと月に親しみを持っていくことが増えて、そうすれば月に親しむ人は月探査も応援してくれるだろうという非常にある意味まどろっこしいアプローチなんですね。
ところが、日本の月探査機「かぐや」も打ち上がって、中国もどんどん打ち上げて、むしろどんどん日本が周回遅れのような状況になったところで、10年後にアルテミス計画というものに日本も参加してということになって、にわかに、昔、自分がやっていたことがみんなやってるじゃんというような話になり、あるいは自分はこういうことをやりたかったんだけどなと言ってるようなことがどんどんどんどん実現していくわけですね。しかも、それが、例えば、ispace(アイスペース)さんなど、民間事業者が一般の事業としてやっていく。絶対にJAXAとかじゃないとできないよねと言われていたことを、みんながお金を集めて行っているわけですね。すごい時代になったなあということと同時に、自分もそういう活動に加わって、食べていけるかもというようなことが言える時代になったなと。
つまり、民間の企業というのはやはり国とは違って、必ず成果として発展していかなければ続かないわけです。ということは、そういうところが月だ月だと騒いでるということは、今後もきっと発展していくんだろうなと、一方で、官の方は官の方で、アルテミス計画でアメリカと組んでいくと言い始めているということは、きっとこの流れというのは少なくともあと10年くらいは変わらないんだろうと。その先に待ち構えているのは民間企業が月に宇宙船を飛ばすとか、人を連れて行っちゃうとか、そのような時代、つまり、25年前に自分がそういう時代が来ればいいなぁと想像していた時代にがもうそろそろくるんじゃないかということですね。
岡本
寺薗さんのお師匠さんでもあると思うんですけれど、「はやぶさ」プロジェクトに関わり、宇宙教育の父とも呼ばれる的川泰宣さんがおっしゃっていたことがすごく頭の中にあるんですが、「はやぶさ」が成功した最大の理由は、お金がなかったからだと。お金がないから、知恵を出して、外装などなにもかも、みっともなくただ貼っているだけかもしれないけれど、そういうことが日本人としての誇りというか、JAXAのやり方だったんだということを思い出したんですが、つまり「公」でるべき宇宙のものと「私」でやるべき宇宙のものというのがあって、衛星がないと僕たちは生活ができないような実情になってきている中で、「公」と「私」というのがどこで線引きされるべきなのかというのが聞いていて難しいなあというのが感じてしまったんですね。その辺りは、寺薗さんはどのように考えていらっしゃいますか?
寺薗
現場はまだなかなか難しい段階だと思いますね。元々宇宙というのは、誰のものでもない、言ってみれば「みんなのもの」という文化でしたし、宇宙条約の中にもそう書かれているし、私もそうだと思っていますし、ほとんどの人もそうだと思っている。自分のものという人はいないですよね。「私」というのは、ある程度、自分の物と言わないといけないわけで、そこで、ロケットや探査機を飛ばすにしても、降りるにしても、ある程度占有するとか、そこから何かを得るということが出てきちゃうわけですよね。その中で、それで儲けると言っても、今のところは、例えばNASAの委託とか、どこかの宇宙機関の委託とか、私企業がロケットを打ち上げているという段階で、まだ占有が問題になるとかそういう段階には入ってきていないと思うんですよね。そう言っているうちに、数年後にはその問題が出てくると思うんですが、どうするのかはその時に考えていくのかということで言えば、おそらくは、ある程度占有することはやむを得ない。ただ大元の精神ですよね、宇宙はみんなのものだし、それを還元していかなければならない、あるいは得た利益というのはちゃんと公のためにも使ってほしい、というようなことを忘れてほしくないと思いますね。
さきほど触れたように、宇宙旅行者がどんどん増えてるといっても、結局今はほとんどが、お金持ちがお金を払って行っているというのが現実ですけれども、お金持ちが、言ってみれば公共投資としてそういう宇宙旅行の宣伝をつけることによって、後で行く私たちのために先行投資をしているんだと思えば、まあ悪くはない考え方かなとは思います。同じように、何か衛星を打ち上げるとかそういうのも、例えば、国がやると効率が悪いところを民間がやっていくとか、あるいは、公共のものでも、民間がある程度入っていくというような考え方の下で、民間企業が儲けさせていただくというような哲学の切り分けがちゃんとできていれば、そんなに問題にならないのかなと思います。ただ、強い企業が大暴走をしてしまって、一方的な金儲けになることがないかということとか、そこをちゃんと見ていく役割というのは私たち一般の人たちにも求められることなのかなと思いますね。
岡本
今のお話を伺っているとispaceの話題が出てきましたが、月に行きました、月の石を持って帰ってきました、これ税金かかるの?関税かかるの?誰のものなの?という、いわゆる宇宙のルールというものを、国際条約を決めていかなければならないことも出てくると思うんですけれども、現状で言うと、どのように宇宙のルールが解釈されるものなんですか?
寺薗
宇宙条約という、いわゆる宇宙開発のバイブルみたいなものができたのは、1960年代なんですね。当時は宇宙開発というものが始まったばかりでしたし、冷戦の真っ只中という一番ひどいところでしたので、宇宙を戦争、特に核戦争の場にしないということがメインだったんですね。それと宇宙開発ができる主体というものは当時は国だけだったじゃないですか。国ではないとそういうことができないことが前提だったので、今のように、民間企業がロケットを作って宇宙船を打ち上げるなんていうことは全く想定していないんですよね。
一方で、民間企業というのはすごく技術の進歩が早いですから、どんどん進めてしまう。それこそ、月からモノを持って帰ってきたら税金どうなるのかとか、関税がかかるんですかとか、あるいはその持って帰ってきたものは誰のものなのかとか、いうような話が出てくるわけで、これは昨年できた宇宙資源法によると、ispaceさんが持って帰ってきた月の石はispaceさんのモノなんです。でも、本当にそれでいいのかと。
今、そういう議論というのは、さすがにそのままではいけないと、宇宙条約のままでいつまでもいいわけではないということで、国連の下部組織を中心に進められているところではあるんですけれども、まだなかなかまとまっていない。現実が先行してしまっているという状態ですね。
岡本
今日、寺薗さんの話を聞きながら、あとispaceさんの話も聞いて思うところなんですが、宇宙条約というものが先にできて、当時は日本も従わざるを得ない時期だったと思うんですけれども、今どんどん技術の進化とか国際関係が変わっていく中で、日本もルールを決める側の方に回らなくてはならないと思うんですね。
日本人は決めるのは得意ではなく、守るのは好きな人種であると、そのルールを、ルールメーカーとしては欧米の国が強くて、今、問題になっているロシアもそうだと思うんですけれども、この状態の中で、ルールを決められる人間を日本人も作っていかなければいけないと思うんです。このあたりはどのようにお考えですか?
寺薗
なんで日本人はルールを決めるのが苦手なんだろうというのはですね、おそらく今まで日本というのはキャッチアップ文化だったと、特に戦後70年間は、欧米に追いつけ追い越せ、あるいは世界一になるんだという何かこう先行モデルがあってずっと過ごしてきた。ところが、バブルの時期辺りで、その先行文化が終わって、もう突き抜けてしまって、今度は自分たちが追いつけ追い越される側になってしまったのに、まだどこかでそれをやっているところはないかなという前例を探したりするということがすごく多いですよね。前例がないから決められない、決められないから何をしていいかわからない。その決められない文化というのが、ここのところ特に30年間の日本の低迷の根本にあるような気がするんですよね。
その中で数少ない成功例が「はやぶさ」だったわけで、分からないことをとにかく決めていったんです。何かあった時にどうしたかというと、根本に立ち戻ったんです。自分達はそれを何のためにやっているのだろうとか、あるいは今何をすべきなのかとか。物理学的なものや目標なども全て突き詰めていったんですね。その中で、次にどうしていかなければならないかを決めていくと。ものすごく地味な作業を繰り返してきたということになると思います。
例えば、私権というものをどう我々が捉えるかという時に、宇宙条約で定めている概念って何だろう、宇宙というのは誰のものでもないみんなのものであるという、であればそこから物を持って帰ってきたとしてそれを使ってお金儲けをするとしても、基本的にはみんなのものであるということを忘れずにその開発をしなければならないとすれば、当然その公と私を成り立たせるにはどうすればいいかということを次々に考えが出てくるはずなんですね。
その中で、もう一つ、日本のいいところでもあり悪いところでもある、和を重んじるということですかね、人の意見に流されると言うかあまり対立をしない。これはいいところでもあると思うんです。あまり侃々諤々、喧嘩をして物を決めるというようなことをすると、例えば、「はやぶさ」の時も、どこかの映画では最後は喧嘩になっていましたけれどもそんなことは全然なくて、みんなの意見を、中には対立する意見でも、後は任されたリーダーが決めれば、たとえそのリーダーの意見が自分の意見と違ったとしても、それに従うという考えですね。だから、リーダーの側にもその意見を聞く姿勢が求められるし、フォロワーというんでしょうかね、聞く側にも、一度決まった物はそれで行くんだという姿勢が求められる。リーダーシップという言葉はもう使い古されて日本語にもなっちゃうくらいですけれども、フォロワーシップという考え方は意外とないんですね。フォロワーシップという考え方の中で、みんなで決めた事を一つずつ従っていくということと、自分の意見というものをしっかりと述べていくその意見というものが色々な考え方とか原理原則に根ざしていなければならないという、その両方の考え方を使って、未知の領域へ進んで行かなければならないかなと思います。
その前提として、相互に結びついた深い知識を持つことが大切。
岡本
寺薗さんが考えていらっしゃることは、根底にあるのは、自分で伝えなくてはならないということだと思うのですが、今、寺薗さんが活動されている広報とかアウトリーチもそうだと思うし、自分の知識を入れることも大切だと思うんです。相手にどう伝えるかということもすごく大切で、しかも「はやぶさ」もそうなんですけれども常にリスクヘッジをしながらこういった場合はどうするのということを考え照らしたと思うんですね。最後のエンジントラブルもそうだと思うんですけれども、裏側にコードを組んでいて何かがあった時にそれがうまく組み合わせによって噴射できるようになったというのも有名な話だと思うのですが、そういったトラブルを想定しながら、答えがないものを自分たちでどう答えを作っていくのか、宇宙法のルールなんか、まさしくそうだと思うんですけれども、この考えを、どうやって、いつからできるようにしていくか、教育の面は非常に重要だと思っています。
先程お話しされていたキャッチアップ文化というかキャッチアップ思考だと思うんですけれども、ロールモデルがあって、これを抜けということばかり考えていたその時代って教育もやりやすかったと思うんですよね。でも、今は、これを作れといわれているモデルに対して、日本人は、全くとは言ってはいけませんが、できない人も多くなってきてしまった。これを変えるのには、やはり教育のあり方自体を変化させていくべきことだと思うんですけれども、その中で、ご自身が教育で受けてきたもの、そして、大学で教育教員としてやられていた時に伝えることがあったと思うんですけれども、今日これを読んでいる方々って小中高校の先生方が多いんですね。その中で、社会で活躍されている寺薗さんの思考から見て、どのように学校の教育の現場でそれをやっていくべきなのかということを少し何か寺薗流でお話ししていただければと思います
寺薗
昔は知識を詰め込んで方法を教え、なるべく早く促成栽培として出していくというのが基本で、ある意味おっしゃる通り、簡単でしたよね。その手法も欧米の手法をそのままで。ただ今の時代って正解がないんですね。こうなったらどうなるというのは分かるけれども、それが正解なのか不正解なのかはわからない。しかもそもそも不正解をつけようがない。その中で、どういう教育をしていかなければならないのかということなんですが、例えば、議論しましょうと、頭で議論をさせるということも確かに大事なんですけれども、まず、その大前提で議論をするためには知識も必要なんですよね。何も知識がないままいきなり議論をしようとしてしまうとどうなるかというと、結局相手を打ち負かすディベートになってしまう。ディベートの意味でのディベートならいいんですが、打ち負かす競争になってしまう。特に子ども達というのはどうしても、人より勝ちたいとか、うまくやりたいとか、打ち負かすことを強く意識してしまうと、結局強い言葉を言って打ち負かしてもOKかなということになってしまうんですね。そういうことではない。
まず、しっかりと知識を身につけていく、それも、単に素材としてではなくて、相互につながる知識ですね。例えば、数学の知識が理科とも関係していくし、実は国語力って英語の力にも必要だとか、そのように繋がっていく。教科の枠組みを超えたことが必要ですよね。次に理論。人の話を聞いて、その話の中から問題となるポイントを抽出していく。そして最後に、一つの結論を出す力ですね。その結論が間違っているかどうかというのは、今は問わない。ただ、結論を出すという過程で、自分がどう考えてこういう結論を出したかということがすごく重要ですよね。そのプロセスと言うんですかね。論理的な思考と、あと周りの人達を納得させる力。感情も入るかもしれませんが、その両方が必要になってくる。単なる知識というよりも。システム化された知識と言うんですかね。それを見出していくことが必要だと思います。
難しそうに見えますけれども、私は実は数学がすごく苦手だったんですね。中学高校時代に数学で60点以上取ったことがほとんどなかった。それほどものすごく数学が苦手だったんですが、当然、数学を集中的に鍛えなければならないという中で、予備校の数学の先生がこんなこと言ったんですね。「数学は論理の塊のようなもので、君たちは、数学がすごく難しいと思っているだろう?でも、そうではない。例えば、君たちは自宅から予備校まで来ているだろう?自宅からここまで来ている間に、色々な判断をしてそこに来ている。例えば、どっちの改札が空いているかなとか、この路線の方が早いからこっちの方を選ぶとか。(今はスマホのアプリがありますけど当時はそんなものがなかったので、)そうやって色々な判断をしたから今ここに君がいるだよね。ということは、ここに来られていること自体がちゃんと君たちが論理力を持っているということの証明なんだ。」ということを言われてすごく勇気が出たと言うか嬉しかったんですね。どんな子どもたちにも大人であっても、そういう能力というのは必ずあって、それを何らかの理由でうまく出せていない、あるいは本人がちょっと引っ込み思案だったりするようなことがあってうまく出せていないとすれば、何かそれをうまく引き出してあげるような教育と言うか知恵の出し方というんですかね。
私が大学で教えていた時は、私はあまり学生にわんさか指導をしないほうだったんですね。ここまで行ったら次はこれをやってみたらどうかとか、大学の卒論というのも決して正解があるわけじゃないんですよね。何々を作るという課題を与えられたとすると、過去の観察を網羅したデータベースとそれを見られる仕組みを作りますと、それを見るためには何が必要で、どういうデータがあるのかそれをまず洗い出してみなさいと、そして洗い出せたら次にそれを整理して出すためにはどういう仕組みが必要かを考えようと。ただここまで来ると結構大変なんですよね。一つ一つの事を細かく見ていかなければならないので、細かく洗い出させるには少し教員の力も必要かもしれないですね。次にこれをやってみればどうか、そこにはいろいろ調べ物が必要だねと、どちらかと言うとあれをやりなさいこれをやりなさいと先に指定するのではなくて、これをやってみるとどうなるか見てみなさいとかそういうような感じでやっていましたね。自慢になっちゃうんですけれども、実は大学で教員をしていた時、卒論生で留年をした人がいなかったんですね。自分の卒論生は全員留年させなかった。そこは自分は今では自慢をしてもいいかなと思っています。それは多分、あまりガミガミ言ったりとかせずに、やるべきことを割と示せていたところが大きかったのかなと思います。ギリギリになってくると、なかなかそうも言ってられなくて、こっちでやっちゃうところもあったことは確かではあるんですけれども、潜在能力をうまく引き出すようになるべく相手が反応してきたことに対して自分がどう出すかっていうのを上手く対応する。これって実は広報なんですよね。
講演とかイベントなんかもそうですしね。相手がどんな質問をしてくるか分からないし、ましてや誰がどんな世代の人が質問するかもわからない。小学3年生の子供が質問してくるかもしれないし、ご老人が質問してくるかもしれない。そういう時にうまく対応するというのはやはり経験ももちろん必要だと思いますし、先生方が質問を受ける立場として、ある程度シミュレーションと言うんですかね、こういうことを子どもたちが聞いてきたらという風に思うんだろうなということを、ちょっといつも考えておくということですかね、そういうのも必要かなと思います。
例えば、教育指導要領に沿ってこう言えばこう言って、こういけばこうというような、ある意味プログラム的な教え方も必要ですけれども、一方で対話的な教え方で、聞かれて答えるというときの手札をなるべく増やしていく、あるいはまったくそれがうまくいかない場合に自分としてはどう考えるかというようなことをいつも考えておく。ちょっと大変ではあるんですけれどもね。先生もそこまで何でも分かっているわけではない、でも答えなければならないということになるかもしれないけれども、分からない時は分からないでもいいと思うんですよね。私もわからない、だから一緒に考えましょうでもいいと思うんですよね。
ただ、その一緒に考えましょうを子どもたちにどう伝えていけるか。分からないよ、おしまい、で終わってしまうと、特に宇宙関係ってどうしてもわからないことが多いので、わからないけどすごいねってなって、宇宙は夢とロマンで溢れているからなどと言ってすぐ逃げてしまうこととか、宇宙開発というのはそういう逃げを持ちやすいところではあるんですけれども、分からない夢やロマンを、将来わかるかもしれないねで終わらせることもできるんですけれども、私はそれが大嫌いで、僕はこう考えているんだよ、でもひょっとしたら違うかもしれない、もうちょっとしたら分かるかもしれないねと、そういう答え方をなるべく自分で考えるように、常に頭を回しています。それは先生も生徒さんたちもなるべくお互いの頭を回しながら、そのやり取りの中でその回すエネルギーというものを得ていく、そういう教育っていうのができるとすごくいいなあと思います。ミッションでもみんなそうですよね。みんな分からないことは何でも考えるそういうことですね。
重要なのは、その分類に捉われず、自分は何をしたいか
あるいは何を目指そうとしているのかということ。
岡本
最後の質問になってくるんですけれども、大学に行った後、社会に出てどう活動していくかということを考えてですね、「社会に出た時の力」が必要なのは分かるのですが、でも中学に行く、高校に行く、大学に行くのに、日本ではペーパーテストという制度的な問題というものがあって、文部科学省の指標の中で国立大学も50%は推薦で取っていいよという上限値が撤廃されたり、結果的に大学側が総合型選抜入試とか旧AO入試みたいなものを広げていくことはあったと思うんですけれども、この比率というものを考えると、どちらも重要なんだと思うのですが、寺薗さんはどう考えていらっしゃいますか?
寺薗
私は古い人間なので、割とペーパーテスト側なんですね。一方で、ペーパーテストというか試験というものが常に苦手な人間がいるですよね。私も、大学受験で一度不合格になって、浪人して入ろうとした名古屋大学に落ちているんですね。たまたま追加合格が大量に出た年だったから救われたのですが、大学院入試の時には物理の問題を全く解かずに入ったりと、ある意味ペーパーテストはものすごく苦手な人です。もちろんそういうのが得意な一発屋さんという人達もいたりしますし。
ただ、間違いなく言えることは、すべての人は自分の思い通りに進路を決められる訳ではない。例えば、宇宙開発の世界に入りたい、ある会社に勤めたいという人たちは山ほどいるわけですよね。ispaceに入りたい人が1000人いるけれど、今年の採用は10人ですとかとなった時に、残り990人を絞るためにはやはり上の側が選抜をしていくことになるわけですよね。そういうことは必ずあるわけです。そうなると世の中、どこかで自分が理不尽な選択の中に取り込まれるという、つまり例えば、ずっと宇宙飛行士になりたくて、選抜に落ちてしまったとかということは必ず起こるんです。ただそこで、自分はその世界の扉が閉まったと思っちゃいけない。そういう考え方ですね。では自分は何をやりたいか?そこでまた根っこに立ち戻るわけですね。根っこに立ち戻った時に、宇宙飛行士というのはある一つの理想の実現の姿であって、例えば、宇宙飛行士を支えるフライトディレクターになる、あるいは宇宙飛行士の着る服の素材を作る会社に入るなど、色々な形で実現のルートがあると思います。そういう一つだけではなく、色々なルートというものを思い描いていく、あるいはそういうことを思い描くように頭を常に、また出てきますが、頭を常に回すと。自分の人生をシミュレートしていくということだと思います。
宇宙飛行士に落ちたという話は、今、JAXAのフライトディレクターをされている内山崇さんという方がいらして、彼の人生の話がものすごく影響しているんです。彼は2008年のJAXAのひとつ前の宇宙飛行士の候補ですね。3人の宇宙飛行士が新たに選抜される時の最終候補者の一人だったんですが、多分世界で一番宇宙飛行士になりたいと思っていた人の一人だと思うんですが、でも落ちるんです。その時に絶望からどう立ち直ったかというと、実は宇宙飛行士を支える仕事というのも決して無駄な仕事ではない。それは自分が何をしたいかというところから立ち戻って考えれば十分重要な仕事だと。それを考え直したことで自分の生きる道とかルートというのが選択できて、今はその経験というのが逆に役立って、本も書けるし、未来の宇宙飛行士を育てるような仕事とかそういうことまでできてきたりとか、そんな人生を彼は送っているわけですね。
自分は一体何が得意で、何が好きで、何をしたい人間なのか、ということに立ち戻るというか、それが小学生の時にはまだわからないかもしれないしおぼろ気かもしれないけれど、その中に必ず立ち返りながらそれに対して自分はどう反応していくのかということを繰り返していくことによって自分自身というものがどんどん人格としてできていくと思いますし、逆に子どもたちが迷ったりどうしても科目ができないという時に、もっとその根本に立ち返ってあげられるように手を差し伸べてあげられるような先生になっていけるといいなということは今でも思っています。
岡本
寺薗さんがお話をされていたペーパーテストの力というのも絶対にないと、宇宙方面に行くのに計算ができないとか知らなかったとかいうわけにもいかないので、そこはすごく学ぶ力は必要だとは思うんですが、最後にですね、宇宙というのは物理とか数学ができないと絶対に行けない領域に近かったと思うんですが、どんどん民間の宇宙スタートアップができてくる中で、文系の子たちもどんどん職業として宇宙のフィールドというのが増えてきているように思います。
今から特に、宇宙資源のエネルギーもそうですし宇宙旅行の方も、宇宙の関係の仕事の需要が増えてくると思うのですが、ここを目指す子どもたち、またそれをサポートする学校の先生達に何か最後にメッセージをいただけるとありがたいなと思います。
寺薗
宇宙は最後のフロンティアとよく言いますけれども、宇宙がもっと身近になるということは私たちの社会がもっと広がっていく大きな形になっていくということと同じ意味だと思うんですね。そういう時にはまさしく、仰ったとおり、文系も理系もない。宇宙法などの法律の知識も必要ですし、JAXAだって組織ですから経理のようなお金の計算というのもあるし、あるいは外交交渉、対外交渉、ネゴシエーション、そういう力も必要だし、もっと言えば哲学の分野ですよね、なんで私たちは宇宙に行かなければならないのか、宇宙資源を採掘することが果たして人類にとって良いことなのか悪いことなのか、そういうことを判断するとか。
最近私の研究分野の中の一つに入ってきているんですが、宇宙倫理学という分野ですね、そういうことを考えないと、例えば、政治を立案するために大きな問題になったりすることもあるとか、色々なことが宇宙に結びつくということを考えると、まず自分の進路をあまり狭めないで子どもたちには自分が面白いと思ったものは徹底的に突き進んで欲しいということを伝えたいですね。
それは宇宙じゃなくてもいいと思います。アニメでもいいですし、自動車でもいいし、好きだなと思った、これ面白いなと思ったことを、まずとことんまで突き詰めてみて、その中でじゃあそのために何をすればいいのかということを色々と考えてみましょうと。そうすると例えば、アニメが好きと言ってもアニメって今コンピューターグラフィックス使ってコンピューターで描くためのITの知識が必要だから、そうすると数学がいるなとか、そういうようなことがどんどん出てくると思うんですね。そうすると、好きであればそれを学べばいいし、好きだったらきっと学べるだろうというのがあります。
もちろん、他のものは学ばなくてもいいのかというとそんなことは全然なくて、特に中学校までは義務教育として、人間を作る基礎の教育ですから、全部学んでおいたほうがいいし、理系だったら国語の知識はいらないかというと全くそんなことはないですしね。繰り返しになってしまうのですが広報とか普及啓発を世界にいると、こうやって話をする機会が多くありますが、話すということは日本語を話しているわけで、日本語を話す時にその日本語の話し方とかがうまくなっていない人ということになってしまうとまずいですよね。講演とかでも、きちんとした日本語で話す、あるいは言語を書くときにもきちんとした日本語で話すということはやはり必要。ということは国語の知識も絶対に必要だと、実際私は高校の現代文の先生に随分教わりました。あと英語もそうですね。今の時代何をやるにも英語が必要ですけれども、英語を教えるためには日本語も必要。曖昧な日本語を直すためには曖昧な日本語を一度しっかりした日本語に直して英語に直さなければならないわけで、そうすると国語の知識も必要と言うように、これは先ほどお話しした色々なものが結びついている体系化された知識というものがあると思うんですけれども、理系だから国語はいらないとか、社会の知識は不要だということはなくて、むしろ理系だから国語とか社会というのが将来効いてくるということですね。歴史の話とか、例えば宇宙開発の歴史とかの分野で知っていたりすると、すごく効いてくる。米ソ冷戦の話とか、逆に文化系の人たちが国語とか国文学とか英文学とかの話をする時も、例えば宇宙開発の話とか専門的になるとちょっと理科とか物理の知識というのもまた必要になってきたりして、それを知らないとなんでこういうことを言っているのかわからないということになってしまいます。理工学部だから理系とか国文学部だから文系かっていうことがあったとしても、自分がその理系文系という形に特に知識という頭の中おそういう形にはめることなく、理系文系というのはあくまでもいま自分が進む進路のパスポートだというふうに考えて欲しいんですね。
今のUSP研究所では、文系のエンジニアもいるんだという話を採用活動の時に特にしています。IT分野は理系ではないといけないということでは全くないんですね。もちろんプログラミングの知識があればそれに越したことはないですが、ITだってやはり哲学もいるし、IT企業に入れば宇宙と同じで経理のことも勉強しなければいけないし、哲学とかの世界にも入ってくるわけです。面白い話が合って、USP研究所は企業の基幹システムなどを開発するものですから、お金の流れってどうなってるの?ということを知らないとシステムの開発ってできないですよね。プログラミングができるプログラムが書けるとかではエンジニアにはなれない。エンジニアは何をしなければならないかというと、その企業のお金の流れ方つまり経理なんです。なので、エンジニアの机の上に簿記会計入門という本が置いてあったりするんですね。それは多分、今、プログラミング教育と言われているものとは対極にあるものかもしれませんけれども、結局、会社に入った時に、そういう文化系の知識が理系の人間に必要になってきたりすることもあるわけですね。ということを考えていくと、いたずらに頭に理系文系というのを当てはめるというのは就職してから怖いことになりますよね。大学に入るためのパスポートとして、いまはどちらかにいるけれども、将来的にはその理系文系という中には自分を縛るのではなくて、やりたいことというものの中で必要になることはこういうことなんだという所に立ち止まって考えてほしいと思います。
岡本
悩んでる子どもたちはすごく多いと思いますし、あと何よりもこの宇宙に興味を持っていても諦めるしかないという子どもたちや学生も多いと思います。何かこう、先行きをピボットをしながら自分の興味を広げていくということをぜひやってもらいたいなと思います。
寺薗
そうですね。今から受験勉強に入ろうという高校生は、3年生の人たちは一番大変な時で、まずは文系なのか理系なのかを決めなければならない。また、決めた後に、やはり文系だった理系だったで、悩んだり、更には大学に入った後にいやそうじゃなかったとか。それは絶対にあることです私もそうでした。私はどちらかというと文系だったと今では思っているくらいです。でも選んだ学問が地質学だったという一番最初の話になるんですが、地質学というのは理科系の学問の中で一番文科系に近い学問だと思うんですね。数式があまりない。例えば、地層ができているところを見て、これは砂でできているから砂岩だとか礫岩だとか、人間による観察をもとにしてやっていく、芸術に近いような考え方かもしれないですね。それでも私なんかは間違いなく理系に分類されてしまいますし、もちろん、広報とか講演をやっている同じ分野の人間でも文科系から進んできた人もいます。この世界に入ってみると結局理系なのか文系なのかというのは決めても仕方がないというような感じになっちゃいますよね。
重要なのは何をしたいかあるいは何を目指そうとしているのかかなと思います。だから今、苦しい、あるいは、私こっちを選んでしまったんだけれどもそれでいいんだろうかと考える自分がいたとしても、もしそれが苦しいのであれば、自分が5年後10年後何をしている人間かということをとにかく考える。そこに至る過程として大学はこういうところを選ぶよと、選ぼうとしているその選択に理系か文系かという分類があるだけにすぎないというように考えて欲しいなと思います。そうすると自分自身の将来像というものがもっとよく見えてきて、大学に入って終わりではなくて、もっと4年後とか院に進むなら6年後、9年後とか、自分の姿が常に思い浮かべられるようになっていくと思うんですよね。逆に、常に5年後10年後の自分の姿、あるいはあるべき自分の姿を思い浮かべながら、それに向けて進んでいくような人生というのも歩んで欲しいと思います。私の場合は、5年後10年後が、今でも移り変わっていますけれども、それもそれで、人生そう思い描いた通りに進むわけではないので、その時にやはり何をしたいかに戻れれば大丈夫というような感じかと思います。
岡本
ありがとうございます。
本日は寺薗先生からお話を伺いました。ありがとうございました。
Today’s Expert
東京大学大学院博士課程中退。宇宙航空研究開発機構、会津大学などを経て、現在合同会社ムーン・アンド・プラネッツ代表社員。有限会社ユニバーサル・シェル・プログラミング研究所(USP研究所)上級UNIXエバンジェリスト。NPO法人日本火星協会理事。
専門は惑星科学、情報科学。月・惑星探査及び宇宙開発の普及啓発をライフワークとしている。
著書は『夜ふかしするほど面白い月の話』(PHP研究所、2018年)、『宇宙探査ってどこまで進んでいる?』(誠文堂新光社、2019年)など。
Interviewer
岡本 弘毅 OKAMOTO Koki