Interview 005

2022/7/20

ソニーグループ株式会社 R&Dセンター
平井 基介さん
HIRAI Noriyuki
ソニーグループ株式会社 R&Dセンター
平井 基介さん
HIRAI Noriyuki
これからのキーワードは「共創」。
世代、分野、地域、教科を超えて、人を「つなげる力」が重要。

岡本

本日は、僕も非常に印象的な出会いをした平井さんに来ていただいております。
平井さんのご紹介としては、この後自己紹介をしていただきますが、今日は、自然の話や工学の話、エンジニア視点の話など、いろいろとさせていただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

平井

よろしくお願いします。

岡本

まず初めになんですけれど、平井さんが今、どういうことに取り組まれているのかを、簡単に自己紹介を含めてしていただけるとありがたく思います。

平井

はい、本業はというのは、普段はソニーグループ株式会社のR&Dセンターに所属していて、そこで主に、新規のディスプレイの開発をしているエンジニアです。入社した頃は仙台にあるテクノロジーセンターで働いていて、もともと磁気テープを扱っていました。磁気テープなので、巻物です。扱うプロセスはRoll to Rollプロセスなどと我々は呼んでいるのですが、その磁気テープの開発を6、7年やっていました。フィルムとか、材料とか、解析技術みたいなことですね。エンジニアといっても様々なエンジニアがいますが私は材料寄りだったりプロセス寄りだったりという方のエンジニアですね。
あと、光学ですね、光です。ディスプレイなので、どうしても光は必要で、材料、プロセス、光学、そのあたりを得意としているエンジニアです。磁気テープ開発に携わった後は、15年ぐらい経ちますが、ずっとディスプレイに関わってきていて、ディスプレイは本当にいろいろと触ってきました。最初は、液晶ディスプレイです。液晶のバックライトには、光源が入っているのですが、その光源からの光の向き制御する、配光と言いますが、配光を制御するフィルムの開発に携わっていました。その後は、電子ペーパーですね、電子ペーパーというのは、光がディスプレイ表面に反射することによって、コントラストの差がついて見えるんですが、その電子ペーパーの開発にも主にプロセス面から携わりました。その後は、LEDディスプレイです。大型で主にB to B向けのディスプレイですが企業様のエントランスで使われていたりするディスプレイの開発に携わっていました。そして今は裸眼で3Dに見えるディスプレイ、空間ディスプレイと言われたりしますけど、そのディスプレイの研究開発に携わっています。
研究開発というのは5年10年先の技術を開発することが一つの役割なのですが、そのディスプレイのデバイス開発ですね。それを本業としています。

岡本

私はディスプレイの勉強をさせていただきましたが、ディスプレイと言えば、今は懐かしき、ブラウン管という、今の小学生とか中学生は全く知らないかな。画面がザーザーとなっていると、上からボンボンボンと叩きながら…(笑)、つまみを回すとか、最近なら「エモい」と言われて、たまにネットオークションとかでも出品されていると思うのですけど、そんな懐かしい時代を知っていて、そこから、どんどん液晶化して、薄くなって、大型化してっていう流れがありましたね。そして、時代とともに液晶の定義っていうか、モニターの定義っていうんですかね、変わっていきましたよね。 昔は、一家に一台だったそのテレビが、普通に一人一台になっていって、さらに一人一台から、今度はテレビではなく、タブレットやスマホというものに変わっていって、もちろん今も進化して、先ほど裸眼の3Dディスプレイというものも出てきているということも含めて、どんどん技術が発展していると思います。 そんな中で、液晶の領域というのは今後どのように変わっていくと考えていらっしゃいますか?

 

平井

そうですね。完全に私見で自分の考えなのですけれど、液晶ディスプレイって本当に息が長いですよね。もちろん、有機ELや、LEDディスプレイが出てはきているものの、液晶ディスプレイはまだまだ健在で、まだまだ技術の進化があるディスプレイで、本当に今岡本さんがおっしゃっていただいたように、最初はもっとパネルも分厚かったのが、もうどんどんどんどん薄くなってきたりしていますし、丈夫に安く、高精細に作れる、あと、液晶が性質上不利だと言われていた応答速度も随分改善してきたりだとか、進化がすごく進んでいるので、自分は、なかなかなくならないだろうと、まだまだ技術進化は進むだろうなというふうに思っています。
実際、例えば学会発表を聞いていても、まだいくつもの論文が出ていますし、各社、技術開発がまだまだ行われているところなので、これからまだまだ進歩発展していく分野の一つなんじゃないのかなと、個人的には思っています。

岡本

なるほど。先ほど、B to Bで、企業のモニターを入れられたりとかっていう話がありましたが、小さいモニターと大きいモニターっていうのは、やはり全然、質というか、問題点というのは異なるものなんですか?

平井

そうですね。どうしても用途が異なってくるので、そこで要求される性能も結構違ってきていて、例えば大型の、企業様のエントランスなどに置いていただくような何百インチクラスのディスプレイになると、人が見る距離も違いますし、求められることが違います。
小さいものだと、人が見る距離もかなり近いですし、スマートフォンやタブレットなどは実際に手で持ったりするので、自分が専門分野としている光の反射を防止するようなフィルムだったりというのは、結構いろいろな方向からの光を気にしなければいけなかったりしますけど、企業様のエントランスなどだと、あるところに固定して設置されるので、別の所を気にしたりとか、もちろん用途とか使われ方によって気にするところは全然変わってきます。

岡本

昔の日本のお家芸って言われるもので考えると、できるだけ薄くするとかコンパクトにするということにすごく重きを置いていた時代というのがあったと思うんですけれど、モニターを小さくし続けることと、大型化していくっていうのも、やはり性質とか難易度というものは全く異なるものですか?

平井

そうですね。もう求められるところが全然違ってきますよね。例えば、大型のLEDディスプレイだと、大きい一枚のパネルでディスプレイを作ることがとても難しいですよね。そんな製造装置を作るのが大変ですし、そもそも一枚物で何百インチを作るっていうのは、ちょっとナンセンスで、もともとは小さいディスプレイパネルを整然と並べていくわけなんですけども、並べるということをやると、どうしても、並べ方によっては映像がずれてしまったりします。
例えば、ハガキがいっぱい並んでいたら、そのハガキが全て一様であれば、つなぎ目が見えづらいですが、どれか一枚がちょっと色が違っていたりすると、遠くから見ると、人間の目はやはり敏感なので、すぐに見えてしまう。逆に、小さいものだったりすると、一枚物で作るわけなので、もちろん個体差、製造ばらつきみたいなものは当然出てくるのですが、製造ロットの中で、AとBとCというものがあるバラツキを持っていたとしても、一人の人はAしか使わないので、個体差みたいなのものは、その固定のお客さんに対してはあまり必要がないとか、求められる関係は少し変わってくるかなという気がしますね。

技術の開発とともに開発目標も大きく変わり、新たな技術課題に直面するターニングポイントは大変です。
エンジニアはいろいろな方法で発想をしますが、自分は日常からヒントをもらうことが多いですね。

岡本

液晶の話とか、有機ELの話などがいくつか出てきて、僕は、ブラウン管という懐かしいものもちょっと差し込みながら話をしてしまいましたけれど、今の子どもたち、デジタルネイティブと言われる子どもたちの世代は、家にあるテレビを見ると、手で触ってスワイプするっていう。そして、もちろんスワイプができなくて、何でできないんだ?という状況があって、生まれながらにしてもうスマートフォンに慣れている状態があると、よく保護者の方々からも話を聞くんですけれど、やはり、時代とともに求められているものは変わっていくと思います。
当然、用途によって変わると思うのですが、平井さんが液晶に関わってこられた中で、これまでで一番大変だったものは、平井さんにとってみれば何でしたか?

平井

そうですね。液晶ディスプレイは本当にいろいろなデバイスで作られているので、もちろん、私も全てを扱ったわけではないのですが、本当に大変だったことは、例えば、先ほどのお話で、自分は、バックライトというパネルの裏側に入っている光源ですね、その光源をムラなく表面側に光を向けるためのフィルムの開発をしていたのですが、例えば、光源もどんどん進化して変わるんですよね。昔は、液晶ディスプレイもまだ分厚かった時代で、その中には、いわゆる蛍光管が横に何本か平行に入っていたのですが、ディスプレイパネルを通して、その蛍光管が明るいところと暗いところのように線として影で見えてしまったりしては、やはりまずいので、あたかも蛍光管が中に入っていないかのように、光を均一に外に出すようなフィルムの開発をしたりしていたんです。
でも、その光源もどんどん進化していて、今、主流なのは、光源がLEDになる「LEDバックライト」と呼ばれているバックライトなのですが、光源自体が小さいのですね。そうすると、今までは、線状のムラを見えなくするためだけだったのに、光源の開発が進むにつれて、そのあたりの開発目標が、今度はいきなり点状のムラを消すであったりだとか、全然違う方向に開発を向けないといけないっていう時とか、そういうポイントポイントで出てくる境目になるターニングポイントの時は、やはり結構大変だなあと思います。

岡本

先ほどバックライトの話がありましたが、そういう光源のことを考える上で、今までの技術とは全く違うところから着想しなければいけない時っていうのも多分あるんじゃないかなと思います。
いわゆる技術のフェーズが思い切り変わるとき、今までの発想の飛躍知のように、何か違うところから持ってくるとか、技術的にパラダイムシフトを起こさなくちゃいけないという時の発想っていうのは、平井さんはどのように考えていらっしゃるんですか?

平井

はい。本当におっしゃる通りで、技術課題に突き当たった時などに我々エンジニアは、何を気にして課題に向かっていますか?というところは、実は結構いっぱいあって、もちろん人によるのですが、エンジニア同士の雑談からアイデアが出てくるっていうこともありますし、もちろんブレストみたいなことをやって出していくっていうこともあります。人によっては論文を読んだりだとか、学会に出てヒントを得たりだとか、いろいろなやり方があります。
自分はどれと決まったことは無いのですが、普段何気なく、例えば通勤途中だったりだとか、プライベートでどこか山の中とか海に行ったりだとか、そういうような時から、ポンと面白いヒントが出てくるようなことが結構あって、自分はあまり会議室で一生懸命考えるというよりは、仕事なのか仕事じゃないのかわからないけど、そのようなところからヒントを得るみたいな時は多いかなと思います。

岡本

平井さんが以前にお話しされていたことで印象的だったのが、「蛾」の目(モスアイ)の、漆黒の闇っていうんですかね、真っ黒なモノを、生物の進化上、光を反射させないことによって、生命が長く生きられるように、彼らは自然の中から、遺伝子レベルで進化していったという話を伺ったことがありましたが、その中で、その性質を技術転用したりするという話が印象的だったんですね。
それは、ご自身が自然の中に行ってヒントをもらうとか、日常の中からの情報収集で取っていったものだと思うのですけれど、そういう着想の視点やポイントというのは、いつ頃からお持ちになるようになったんですか?

平井

あまりいつからっていうのを意識したことがないのですが、もともと、子どもの頃から空を見上げたりとか、宇宙とかにすごく関心がありましたし、あと天気予報とかですね、雨がなんで降っているのかとか、自分の興味関心が自然、自然科学に向いていたっていうのは、大人になってからも気づかないうちに関係してるんだろうなと思います。気づいたらそんな感じになっていたという。

岡本

なるほど。小さいうちからいろいろと「なぜ」っていう問いは持たれていたり、気になって観察はされていたりってことなんですよね?

平井

そうですね。気になっていることが頭の中にあると、別の場で新しいインプットがあった時に、急にポンっとつながったりするんです。その瞬間が結構気持ちいいというか、面白い瞬間で、そういう経験を何度かしていくうちに、ますます周りをキョロキョロ見ながら歩くようになってくるという、そう言うとちょっと危ない人みたいな、少し言い過ぎな面もありますが、常に耳と目と鼻とかを意識的に動かすようにしています。よく観察していますね。
観察の対象も、決して自然や身の回りだけではなくて、人をよく観察しているよねと昔から周りの人に言われることが多くて、自分はあまり意識したことはないのですが、普段から割と人の観察もしているみたいです。

岡本

怖いですね。それを言われると、ドキッとしてしまいますね。(笑)

平井

そういうのは結構、無意識のうちにしているみたいですね。

岡本

それは、エンジニアの方は皆さん、そういう方が多いんですか?いわゆる、同じ目で見ているものに対して、視点のあり方を変えていくということだと思っているのですけど。

平井

そうですね。少なくとも、気になることを放置するようなタイプの人はあまりいないですよね。気になることがあったらとことん調べたりだとか、分かるまで解決するまで向き合うようなタイプの人が結構多くて、普段から「なんでだろう」とか、「不思議だな」と思うような人が多いんだろうなと思います。

岡本

そうすると、そういうエンジニア同士だと、当然、ぶつかったりとかする機会はないのでしょうあ?お互いにこだわりを持って建設的に話をしていたとしても。

平井

もちろん、あります、あります。それはもうしょっちゅう。我が強い人が多い。

岡本

でしょうね。(笑)

平井

我が強いというか、こだわりを持っている人が多いので、そこは本当に多いんですよ、そういうぶつかり合いみたいなことは。

岡本

エンジニアの方々と話をして行く中で、ぶつかることもあれば、もちろん一緒に同じベクトルに向かって進む場合というのもすごく多いと思いますが、海外のエンジニアの方たちとの交流において、何か感じられることはありますか?
当然、他社の方もいらっしゃれば、ソニーグループとしての海外の支社もしくは海外の子会社、いろんな方々とお会いしてお話をすることがあると思うのですが、国の風土によって、研究者の質や考え方に違いを感じられることってありますか?

平井

そうですね。それほど多くの国々エンジニア、技術者の方と話をしたことがあるわけではないのですが、例えば、アジアの同じ分野のエンジニアの方々と話をすると、自分の印象は、彼らはすごく勉強熱心ですし何かを吸収しようと私などにも非常にリスペクトを持って接してくれているなという印象がすごく強いですね。完全に私見ですけど、欧米のエンジニアはプライドも高くてこだわりも強いというイメージを持っていますね。確かに、国によってもそうですが、個人によっても全然イメージが違うかなという気がします。

これからは、新しい課題に対していろいろな分野が融合しながら取り組んでいかないといけないような時代になると思います。
工学も分野の壁はなく入口は無数にあるので、臆せず入ってきてほしい。

岡本

一時期、日本の技術というのは、世界を席巻したわけで、今もそうかもしれませんが、日本の技術は凄いとすごく言われていた時代がある。でも一方で、エンジニアの方にこういう質問するとふざけるなよと怒られてしまうかもしれないんですけど、今、海外の方には、コロナで行けなくなっていますが、海外に行かれる方の多くは、日本の製品をみれるのが随分減ってきてしまったと感じることが多いと思います。ですが、まだまだ日本の技術というものに対しての信頼性がすごくあって、凄い技術なんだと思っている方も非常に多いと思っています。とはいえ、私としては、今言ったように、日本のプロダクトが今、海外ではなかなか売れていない、もしくは売れていたとしても競り負けしてしまうという問題が出ていると感じているのです。
この日本の技術というものは、平井さんの領域から見て、世界的にその優位性を持っているのかどうか、というのは、次のネクストエンジニアを育てていきたいと思っている学校の先生方からしても、すごく気になることだと思っているのですが、そのあたりは、一エンジニアの意見としてどのように感じられているか、聞かせていただけますでしょうか?

平井

はい、そうですね。実際、例えば、事実ベースの話ですけれど、ディスプレイの分野で言うと、5月にアメリカであった、ディスプレイの世界最大の、SIDという国際学会・展示会があるのですが、そこの論文数は、日本はもう世界4位なってしまっているんですよね。1位は韓国、2位中国、アメリカに次いで、日本は確か4番目。なので、もう実際に、ディスプレイの分野においては論文数が減っていますし、海外の方が上だよねっていうふうに思われても仕方がない事態になっているのは確かだと思っています。
また、私見ですが衰退しているように見えているのは、やはり、日本で、ディスプレイパネルを作らなくなっているとことが、イメージとしては大きいのかなというふうに思います。大量にディスプレイ製造を行うというところは、どうしてもコストが優先されるところもあるので、その分野は少なくなってきたっていうのが、日本の技術がちょっと落ちてきたんじゃないの?というように思われてしまっている一つの要因かなと思います。
でも実際はですね、ディスプレイに使われている各種部材、ガラス、フィルムもそうですが、キーデバイスや材料などや、それらを使いこなす装置群は日本の企業は強いんですよね。自分も、海外のエンジニアと話をしたりすると、製造装置みたいなものは、もちろん、現地製のものもあるのですが、まだまだ日本の企業が作った製造装置がいっぱい入っていますし、よく名前が出てくるのも日本の企業で、実際問題は、ものづくりという点においても、特に衰退しているというようなことはそれほどないのかなというふうに、自分は思っています。
やはりどうしても目立つアセンブリ、最終製造工程が多く海外流れてしまっているというのがあるので、そこで、衰退したというイメージがちょっとついてしまっているところが、そう思われてしまう一つの要因なのかなと思います。

岡本

論文数が減るということは、今の現時点から次の技術へのエンジニアの育成にも影響がつながっていくんじゃないかってよく言われている。つまり、今の技術というものは、数年前のR&Dの成果として出てきているプロダクトであって、今の論文の数というものが、5年後、10年後、20年後の勢いにつながっていくということを考えると、日本は今から非常に厳しくなってくるんじゃないかという悲観的な意見も多いと思うのですけれど、そのあたりはどうですか?

平井

そこは私も実際、そう思います。パネル製造アセンブリ工場がなくなることよりも、そちらの方がやはり重要だと思っていて、要は、日本発の新しい技術やそれに伴う論文などが減ってきてるということ、そちらの方がよっぽど危機感があるかなと思います。おっしゃる通り、R&D、研究開発なので、学会に出るような技術というのは、数年、数十年先の技術ですので、そこの論文数が減っているということは、日本発の新しい技術が少し減っていくということなので、そこは真摯に危機感を持っているところではあります。

岡本

工学部に行きたい子どもたちが実際にはかなりいるのですが、工学を学ぶ子どもたちが将来どういう領域に行ったらいいのか?の判断が難しくなっています。昔に比べて当然、範囲も広がって細分化されたというのもありますしソフトウエアのパワーがハードウェア以上に強くなって、人気も出てきているという状況があると思うんですが、次の世代が向かうべき方向性というのが、選択肢がどんどん広がった結果、まとめられなくなってきているかなというのもすごく感じているんですよね。その辺りっていうのは、平井さんの目線からご覧になられてどうなのかなっていうのをお聞きしたいです。

平井

もうおっしゃる通り、選択肢が増えたが故に、少し薄まってきているようなイメージですね。ある一か所に集中しているのではなくて、けっこう分散してしまっているっていう感じはあると思うのですが、これも個人的な意見ですが、自分はそれでいいのではないかなと思っていて、今は、いろいろな新しい技術、新しい種が育っていくというか、来たるべき新しい時代に向けて、今、いろいろな種が広く浅くある方がまだいいかなというふうに思っています。
これから先は、今までの枠組みであまり考えられないというか、いろいろな分野が融合して新しい分野が生まれてくるような時代になるのかなというふうに思っていて、そういう時代であるということを考えると、何か一つのものを突き詰めるというのは、それはそれで非常に幸せなことですし尊いことだと思うのですが、広く浅くいろいろなところに日本の優秀なエンジニア、優秀な頭脳がちらばっている状態というのは、ある意味これから時代の日本の強みの一つなんじゃないかなと思います。要は、散らばっている頭脳が、きっと融合しないといけないような、新しい課題に対して融合しながら取り組んでいかないといけないような時代になるのではないかなと思っていて、それなら、多様な選択肢が散らばっていた方がこれからは良いという気がしていますね。これとこれとこれを組み合わせてこの課題を解決するとか、これとこれとこれを組み合わせて新しいものができるとか、きっとそういう時代になるのではないかと思っています。

岡本

すごく興味深いですね。僕は今、聴いていて、車の話を思い出しました。モビリティの世界を作ろうということで、ホンダさんとソニーさんが手を組んでというのも、多分それと同じように、一つの社会問題を解決するためのイノベーションを、二つの会社でシナジーを出してやっていこうっていうことだと思うんですけど。多分この話をしていると、企業文化の話とか、どんどんどんどん発展していくなあと思いますが、ちょっと今日は我慢します。(笑)
少し違う視点、切り口から話を聞きたいなと思っているのが、実は今、先ほどちょうど、工学の話から、色々と選択肢が広がるというものがありましたが、それが広がるための人材の中で、もう一つ、僕が問題があると思っているのが、女性の工学的分野のジェンダーバイアスをどう取っ払っていくのかっていうのが、教育の現場だと大きな問題の一つだと定義されている場合が非常に多くてですね。つまり、工学=男性のイメージというものがあって、女性がなかなか工学の方に足が向かなくなってきているというのも、ずっと、日本の一つの大きな問題点なんですよね。この点に関しては、今の平井さんの、組織、ソニーからの目線っていうのも含めて、エンジニアとしての目線も含めて、この女性の工学に対するジェンダーバイアスっていうのはどのようにお考えなのかなっていうのも、すごく興味を持っているので聞いてみたいです。

平井

まず、自分の身の回りの話からさせていただくと、最近は女性のエンジニアがものすごく増えたという印象で、逆にそのジェンダーキャップみたいなものはあまり感じなくなってきているっていうのが実際のところです。ただ一方で、おっしゃる通り、エンジニアリング、工業みたいなところは、イコール男性だ、みたいなイメージが一般的にはまだまだ残っているのだろうなというふうに思っていて、でも、どうしてそうなってしまったのかというところを、やはり考えなければいけないのかなと思っています。まだまだ女性が働きづらい環境があるのも確かだと思うので、そのあたりを変えていかないといけないんだろうなと思います。ただ現場の感覚からいうと、今は徐々に変わってきているんじゃないかなと感じます。

岡本

なるほど。小さいうちは、女の子も当然、モノを創ることが好きで、自ら学んでくれていますが、それがどうしても、物理とか数学という教科が出てきたときに、毛嫌ってしまうっていう場合っていうのもすごくあると思うんですよね。でも、それをできるだけ、好きだから嫌いだからということで文系・理系を選ぶのではなくて、将来の夢というもの、職業の憧れ、もしくはこういうものを社会で実現したいと思ったものから、チャレンジしてもらうということをやってもらいたいと思っている学校の先生は、とても多いはずです。
とはいっても、教科学習がどうにも性分に合わなくて、工学系に行きたいけど行けないという子どもたちもいるっていうのが、すごく限定化されてしまう事の一つではあるんですね。でも、本来はそうではなく、例えば、「工学=理系」と短絡的に考えてしまいますが、心理学から工学の方に入っていくというケースもあるわけじゃないですか。まあ、日本だと文系扱いで海外だと理系っていう違いもあるんですけれども、全然エンジニアリングと関係がないように感じますが、心理学の方から、工学の方に入ってきて、エンジニアとして活躍されている方もいるように、そういう道もあるんだよな~、ということを知らない方が多い気がします。次の世代のエンジニアを目指す人たちもヒントになるんじゃないかなと思ったんですけど、そのあたりはいかがですか?

平井

はい。おっしゃる通りですね。もう本当に、今は分野の間に壁があるというような時代ではなくて、いろいろなところがつながっているので、入り口は本当に無数にあるんだろうなとは思います。なので、ぜひぜひ、臆せず、女性の方にも入ってきてほしいなあと思いますし、新しい視点、別の経験、自分たちが持っていなかったような経験が入ってくることによって、新しいものができていくということはきっとあると思うので、ぜひ臆せずに入ってきて欲しいです。
今の話をお聞きして、一つやはり重要だなと思ったのは、例えば、心理学からエンジニアに進むだとか、そういうエピソードをこどもたちは知らないですよね。そういう道があるんだよとか、そこから入ってきて、今すごく楽しいエンジニア生活っていうか、そういう多様な人の経験を、多くの子どもたちに知って欲しいっていうのがありますね。岡本さんは、まさにそれもやられていますが、「子ども大学水戸」などもまさしくそうですけど、そういう多様な生き方をしている人、ちょっと変わった方向からエンジニアに進んでいる人、逆にエンジニアから変わったところに進んでいってしまっている人とか、いろいろ楽しみ方をしている人のエピソードの話っていうのを、ぜひたくさんの子どもたちに聞いてほしいなあと思います。そういう多様な選択を見せてあげることで、子どもたちが自ら考えるきっかけになると思いますし、そういう場が非常に重要かなと思っています。
なので、私も、エンジニアでありながら、そういう場が非常に重要だなと思って、本業とは別のところでも団体を作って、そのようないろいろな経験をこどもたちに知ってもらう活動をしていけたらいいなと思っていますし、今は、本当に、エンジニア、心理学者といった、縦割りで壁がある世界ではなく、多様な楽しみ方をしている変わった人たちの話をたくさん聞いてほしいなあと思います。

共創の力で、学校・地域・企業一体となって、我々を教育に活用してほしい。
エンジニアも、子どもたちからもらえるフィードバックから得られることが
非常に多いですし、子どもたちにもいろいろな選択肢を
見せてあげることが有効だと思います。

岡本

そうですね。多様性が重要ということで、平井さんが関わられている団体の方もそうだと思うんですけれど、大人が、すごく面白い社会があるんだよとか、こんなにワクワクする領域があって、しかもいろいろな人たちがいていいんだよって。君たちの多様性っていうのは、能力として開花する領域もあってね、という話につながってくると思います。最近の言葉でいうと、そのVUCAの時代って言われる時代になって、先が読めない。コロナもそうですし、その前からもグローバル化の進行がずっと進んでいて、世界が一体化された。そしてその結果コロナが世界的流行となった、当然これも一つ、グローバルの大きいものから派生したわけですけど、そこに、ウクライナとかロシアの問題が加わって、円安の問題。日本だけで見ると人口縮小の問題、地球環境の問題ももちろん、本当に多種多様で一つひとつがヘビーな問題が連続して続いてきていると。そうするともうこれからは、こういうことをすればどうなるっていうものが、いわゆるロールモデルのようなものが、もう見えなくなってきている時代だと思うんです。
その中で、このVUCAの時代に子どもたちに求められる力、もしくは、それを教えていく指導者側に求められる力というのは、エンジニアから見た場合にどう感じられているのか、特に平井さんの場合は、エンジニアという立場だけではなく、実際にアウトリーチ活動とかプロボノとして、子どもたちとの触れ合いをずっとしてこられた目から見て、ちょうど教育とエンジニアの間にいらっしゃる存在だと僕は思っているんですよね。その方から見て、そのVUCAの時代に子ども達に求められる力、指導者に求められる力というのをお話しいただきたいと思います。

平井

はい、そうですね。もう本当に、これからの時代は、課題自体が複雑化していますし、先ほど岡本さんがおっしゃった通り、ロールモデルからの解決、解答がない。そういう課題ばかり、難題ばかりで、そこで思うのは、一人のスーパーマンが解決するような時代でもないだろうなって、やはり思うんですよね。
先ほど、冒頭にお話したこととつながっているのですが、一人で解決ができないとなると、やはり何人何百人かというか、チームで課題を解決していくということはきっと必要になるだろうなと思っていて、そこはよく「共創」っていう、「共に創る」という言葉が最近増えていると思うのですが、自分も、団体の方で今、学校の先生方の研修を手伝っていたりするんですけれども、そこで自分が入った先生方のチームのテーマがちょうど「共創」で、やはり世代だったりとか、学校、地域、分野、あと教科ですよね、そういうところを超えてつながる必要があるし、そういう人たちを「つなげていく力」みたいなものがすごく重要で、「巻き込む力」といえばいいのか、「つなげる力」ですかね。異分野、全く違う世代の全く違う世界の人、日本だけじゃなくて世界の人、それこそ我々みたいにエンジニアが心理学者とつながるとか、あと教科ですね、文系・理系という枠組みではなくて、教科をつなげていく力、つながっていく力っていくのはすごく重要なことで、これはもう、本当に自分が一番、最近よく思っていることです。
変化が激しくて、課題が複雑であるがゆえに、やはり、「つなげていく力」、「つながっていく力」っていうのは、すごく重要なんだろうなと思います。自分も、普通にソニーのエンジニアだけをやっていたら、そもそも、今日このように、岡本さんからインタビューを受けるなんてことは絶対になかったと思います。自分の枠を超えて、自分の分野を超えて、人とつながっていく・つなげていくことによって、新しいことを考えていく、きっとそういう時代になっていくのかなと思いますね。

岡本

子どもたちも、「つながる力」というものが、このコロナで余計に分断されてしまっていて、今の流れは「つながる」ことの対局に行ってしまっている。マスクもそうですけど、顔の表情が見えない、何を考えているか分からない、今の大学生は特にそうだと思うんですけれど、人間関係がさらに希薄になっていってしまった。時代とともに大変になってきていたものが、コロナで更に加速してしまって、今は変な方向に暴れてしまっている気がするのですよね。そういう目線の中で、先ほど「つながる」とか、「共創」ということが一つのキーワードとして出てきていましたが、もし今、平井さんが学校の理事長や校長になりましたとか、権限でなんでも学校を変えられますよとなった場合、ちょっと飛躍した話で申し訳ないですが、学校をどのように変化させていきたいですか?

平井

先ほど話した通り、今、団体の方で、現役の公立の小・中学校先生方と一緒に研修をさせていただいて、よく話を聞くのですが、やはりもう本当に、現場の先生たちは忙しくされているんですよね。その状況で、「共創」はどうとか…、元気な先生はいいですが、やはり大多数の先生方はそこまで目がつかないというようなところがあるのだと思うんですね。なので、学校を経営する校長先生の立場になったのであれば、やはりもう、可能な限りの教育の部分に関しては、どんどんどんどん外に出すべきなのだろうなと。最近、部活動をアウトソースするみたいなニュースがありますけど、そんな感じでどんどんどんどん外に開いていってほしいなあと思いますし、自分がもしその立場になることがあれば、そうすると思います。
もちろん、我々企業にも学校をもっともっと開いてほしいなあと本当に思いますし、どんどん我々を活用して欲しいなあとも思います。それこそ「共創」というか、共に、学校だけではなくて、地域、企業、一体になって、子どもの教育にあたるというのが、「つなげていく力」っていうか、「つながっていく力」、「共創」の力であって、そういうことをどんどんやってほしいなあと思いますね。企業側にも学校とつながりたいっていう人はすごく多いんですよね。学校に入っていきたいとか、子どもたちに関わりたいっていうのは、企業のエンジニアにもすごく多いですし、技術者・エンジニアも、学校とつながると結構学ぶことが多くて、子どもたちからもらえるフィードバックから得られることが本当に多いんです。
そういえば、すごくいいエピソードがあるのですが、この前、岡本さんのところで、「モスアイ(蛾の目)」話をさせていただいた時に、後日、子どもたちからアンケートをいただいて、そのアンケートの質問を全部読ませていただいたのですが、私の気づきみたいなものがすごく大きくて。例えば、『「蛾」が電気の光に集まっているのはどうしてでしょうか?それは「モスアイ」と関係があるのですか?』みたいな質問があったのですが、それに対して自分が考えるわけですね。何て答えてあげたらいいかと考えるんですけども、考えていくうちに、本当はその質問に対して答えたいんだけども、その質問をもらったが故に自分も結構色々考えてしまって。そうだよなと、「蛾」も夜行性だし、弱い光を眼の中に集められる構造、そういうふうに目が進化してきて今があるんですけど、このまま電気があるとか街灯があるような時代がずっと何億年も続くと、「蛾」の目も、もしかしたら違う形に進化していくかもしれないなとか考えてしまって、子どもたちからもらった質問に対してただ答えるだけではなくて、自分も、我々大人も、それに対して好奇心をかき立てられながら、色々考えるんですよね。そういう作業がやはりすごく楽しくて、大人も学校の子どもと関わることとか、学校に入ることによって得られることが非常に多いと思うので、逆に教育現場はどんどん開いてほしいなと、我々はいつでも待っていますという感じですね。

岡本

ありがとうございます。子どもたちの根源的な学びとか、根源的な問いというのは、最初、平井さんが幼少期を振り返っていただいて、空を見ていたりとか、宇宙のことを見て考えたりっていうことと同じように、なぜ?なぜ?なぜ?と常に考えていくことで、そこを調べていくものですよね。しかも今は、以前に比べるとはるかに情報にアクセスがしやすくなった時代だと思うんですよね。ですから、そういったことを考えると、学校の先生たちもそうだと思うんですけれど、どんどんどんどん外にアクセスをしていくこと、そうすると外とつながって、先ほどの言葉をお借りすると「共創」につながっていく。そういうふうに変わっていかなければ、ある意味アウトソーシングしていかないとなかなか難しい時代に、今からはなってくると僕も思っています。
ただ一方で、それをやる上での難しい問題点というのも、もちろん出てくると思うんですよね。様々な制限・制約の中でというのがありますから。それはおそらくソニーさんの中でも、当然納期とか予算とか人員とかいろいろな制限の中でもやりくりしていると思うんですけど、学校の先生方にも、「じゃあ何からやったらいいの?具体的に?」って、「制限があるんだよ、私たちにも。」というのがあるわけで、ゼロサムなってくるものもあるし、何から具体的に行動してったらいいのかっていうのは、やはり思う方は多いだろうなと思うのですけれど、そういう場合は、何からやってたらいいと思われますか?

平井

そうですね。先ほどちょっとお話しましたが、やはり現場の先生は、大変お忙しいし目の前のこどもたちに精いっぱい関わられているので、外に開いてと言われても、じゃあ実際、具体的に何を?どうしていけば?なんて、そこまで頭は回らないですよね…。

岡本

すみません。無理難題を言ってしまって申し訳ないんですけど…。

平井

本当にそうだと思うんですよね。でもその中で、じゃあ何から最初にやってきますかっていう話なんですが、自分が思うのはやはり、例えば、本来であれば先生がやらなくてもいいような業務は外に出すというのはもちろん必要だと思いますが、先生自身もですね、どんどんどんどん外に出てほしいなあと思っています。どうしても普段、学校の中で子どもたち接しているだけではなかなか見えなかったものが、外へと出るとちょっと見えることもあると思いますし、現在会話させて頂いている学校の先生方も、別の社会の人と話すことによって得られたことが多いというか、全然知らなかったことに気づかされたと言って下さいますし、先ほどの、ヒト・モノ・カネの話ですが、企業っていうのは、やはりそういう、ヒト・モノ・カネ、そのリソースを非常に気にしながらプロジェクト進めていくじゃないですか。学校でも今、PBLとか言われていて、ある意味、企業の商品化プロセスに似ているところが多いですよね。どれぐらいの期間をかけて、どれぐらいのお金をかけて、何を目的にやって、どういうふうに進めていくのか、みたいなことは、非常に似ていて、そういうところでも、違う視点という意味でお手伝いできるようなところは、きっとあるのだろうなというふうに思っているので、学校の先生ご自身もどんどん外に出て交流や学びの機会を得ていただきたいなと思います。もちろん、外に出るための時間は、やはり上の管理職の方々の中で意識していただいて…、(笑)

岡本

作ってもらうとね。(笑)

平井

はい。そこが本当に重要だし、声を大にして言いたいなと思います。

岡本

話が全然変わってしまうかもしれないのですが、ファブレス企業が、もてはやされているって言ったら変ですけど、いわゆる固定コストを持たずに、工場を持たずに、企画設計から全部アウトソーシングするということをやっている企業もあるじゃないですか。
教育で、ファブレス企業というか、ファブレス学校っていうのが、もう学校じゃないじゃないかって話なんですが、概念的なモノとして・・・。例えば、教科学習以外は、全部アウトソーシングして、あらゆる分野の専門家の方でおもしろいものをどんどんどんどん拾ってくるというか、集めてくる。それで授業をやるっていうことができたらすごく面白いなと、今、話を伺っていて、企業の人・モノ・カネとか情報っていうのを考えた時に、ファブレス企業の形態を学校でやったらどうなんだろうと考える学校が出てくるかもしれません。結局のところ、DXを進めていくと、そんな感じになっていくわけですよね。もう既に、学校という箱しかなくて、先生がいらないじゃないかってなっちゃうんですけど、学校の否定ではなくて、そういう学校があっても面白いなと考えてしまいます。すみません、どうでもいい話ですね。

平井

いや、でもそれもいいですよね。本当に、学校もいっぱい選択肢があってほしいなって思います。子どもにとってどんな学校がいいかは分からないですし、公立の小・中学校が全く合わない子どもだってきっといますし、オンラインの学校が増えたりだとか、今、岡本さんがおっしゃったファブレスの学校みたいなのがあってもいいでしょうし、子どもたちにもそういう選択肢が増えると、いいなというふうに思います。

岡本

既にもう学校じゃないだろうっていう話になってしまうですが、もともと「ファブ」が「工場」なので、ファブレスというと理解ができなくなっちゃうんですけれど、メタファーとしてそんなものがあったら面白いなって、すみません、おかしいことを話してしまいましたが…。

平井

いえいえ、それもいいと思います。(笑)

岡本

改めて最後に一つ、平井さんから学校の先生たちに、メッセージを送っていただきたいなと思います。いつもこの「MIGAKU」のインタビューの最後に、学校の先生へのメッセージを伺っているのですが、上から目線とかじゃなく、エンジニアから見て、こういうふうになったらいいなあっていう、今の教育現場に関わられる方へのメッセージをお願いできればと思います。

平井

はい、繰り返しになるのですが、やはり、「次の世代の子どもたちに、我々と一緒に携わりましょう」というシンプルなことがメッセージで、本当に、子どもたちに関わりたいと思っているエンジニアは多いですし、学校現場に関わりたいと思っているエンジニア・技術者、企業の人間は非常に多いです。我々を使ってほしいですし、我々は、上から目線ではなくて、学校の先生と一緒に、子どもたちにいろいろな選択肢を見せてあげることが、これから何が起こるかわからない時代を生きる子どもたちに対してきっと有効なのではないかなと思っているので、ぜひ一緒に携わりましょうというのが、シンプルですけど、お伝えしたいメッセージかなと思います。

岡本

ありがとうございます。どこかでね、今日このインタビューの記事を見て、今後、平井さんが学校さんが学校の中で一緒にプログラムをされたりしていたら、すごく幸せなことだと僕は思っているので、ぜひ、今後も一緒に結びついていければなと思います。一緒に、共に、「共創」しようということで。

平井

そうですね。「共創」というのは、一つのキーワードです。

岡本

ということで、平井さん、ありがとうございました!

平井

こちらこそ、ありがとうございました。

Today’s Expert

平井 基介 HIRAI Noriyuki

1974年愛知県名古屋市生まれ。
大阪大学大学院理学研究科宇宙地球科学専攻修士課程卒業後、1999年ソニー株式会社入社。磁気テープや液晶ディスプレイ向け光学フィルムの商品開発担当を経て、現在はソニーグループ株式会社にて新規ディスプレイの研究開発に従事するエンジニア。
若年層へのキャリア教育やキャリア決定過程に関する関心が高く、本業以外で2017年より国家資格キャリアコンサルタントとして活動開始、2022年からは一般社団法人たよなん代表理事として次世代を担うこどもたちに関わる活動を行っている。
https://tayonan.org/

Interviewer

岡本 弘毅 OKAMOTO Koki

教育のソリューションカンパニー、株式会社エデュソル 代表取締役。
特定非営利活動法人子ども大学水戸 理事長。
一般社団法人ロボッチャ協会 代表理事。
世界に羽ばたく「倭僑」の育成のため、従来の教育だけではなく、STEAM教育やSDG’s教育(ESD)、グローバル教育を中心に、3歳から社会人までの幅広い年齢にあわせた、様々な教育プログラムを提供している。また、子どものための大学を設立し、累計10,000人を超える学びの場を提供している。 2020年、株式会社電通、株式会社TBSホールディングスとともに、JVとして株式会社スコップを設立、実践的想像力を育むオンラインスクールSCHOP SCHOOLを開校。