Interview 012

2023/9/28

筑波大学 人間系 教授
綾部 早穂 さん
AYABE Saho
筑波大学 人間系 教授
綾部 早穂さん
AYABE Saho
一番重要なのは、「素直」であることと「好奇心」を持つこと。
好奇心を持って、たくさんの経験を積み重ねてほしい。
岡本

本日はお時間とっていただき、ありがとうございます。
今回は、綾部さんに、今の大学の学生たちの現状などについても少しお話をお伺いしながら、研究として、どのような領域に取り組まれているのか、また、小学生はもちろん、大学進学に向けてがんばっている中高生を指導する先生方に対するメッセージも含めてお話をしていただきたいなと思っています。

というわけで、まず初めに、簡単な自己紹介をしていただけるとありがたく思います。

綾部

はい。筑波大学の人間系の教授であります、綾部早穂と申します。
私の経歴は、この後にお話しすることとも関係してくるかなと思っていまして、といいますのは、世の中の多くの大学の先生方は、大学4年生が終わったら、通常、大学院に進学して、博士号をとって、助手とかを経験しながら、准教授、教授になっていくという方が圧倒的に多いと思うんです。

最近こそは、大学の先生方は、特に理系なんかですと、企業の研究所にいらした先生も多いのでしょうが、心理学の分野では産業界を経験して戻ってきている人というのはまだまだ少ないんですね。

私自身は、大学を卒業した後は、香料会社、においを作る会社ですね、そこで世の中の皆さんが接するような食品、化粧品、トイレタリーといった商品に使われている香料を皆さんがよくご存じの企業に販売する会社ですが、そういう会社の研究所に勤めていました。そこでは、香料が人間にどういう心理的な効果を及ぼすかという研究に携わって、6年間ほどその研究所で働いていました。

大学を卒業して、心理学を活かしながら企業の研究職で働くというその状況は、自分の期待以上ではあったんですけれども、ただ世界に目を向けると、ヨーロッパの国々では、企業で研究をしている方々の中には、博士号を持っている心理学の研究者がざらにいたんですね。その様子を見て、もう少し、大学院でしっかり勉強した方がいいなと思ってしまいました。

もっと言えば、私は大学時代に全然勉強をしなかったので(笑)、せっかく企業で、心理学を学んできた人が心理学的なアプローチで、においが人間にどのように影響を及ぼすかという研究をどんどんやってほしいと言われているのに、十分な知識や技量がないから、その時に必死になって勉強をしたんですね。
勉強をしながらそういう仕事の役割を担っていたということもあって、やはり大学院でもう1回ちゃんと勉強すべきだなと思いまして、自分が大学院で勉強するということの意義を、ものすごく明確に持ったということがあって、就職して6年ぐらい経って、大学院にチャレンジしました。

私の大学時代の同級生は5年間の大学院の博士課程を終えてみんな一人前になって、ちょうどいなくなったところに、私は6歳下の人たちと一緒に大学院での勉強を始めることになりました。
私は目的意識がはっきりしていたので、博士の学位を取りたいということよりも、もっと勉強したいとか研究したいという気持ちが強かったです。

皆さん、もちろんすごいモチベーションを持って大学院に入学してくる人がほとんどなんですけれども、下から何となく、優秀でそのまま大学院に入っちゃったという人もいる中で、また全く違った観点からモチベーションを持って大学院に進学したというのも大きかったかなと思っています。

大学院の博士課程を修了してからは、その後しばらくはアカデミアの分野でいろいろと研究や教育経験を積んでいました。そうこうしているうちに、香料会社にいたときからのドイツ人研究者の知り合いが、フィリップ・モリスというアメリカのタバコ会社ですけれども、そこで大規模な基礎研究所を作るということで、引き抜かれてそこのトップになって、彼が世界中の自分の知り合いの味嗅覚の研究者に声をかけて、その研究所に集めたということがあって、そこで私にもお声がかかり、アメリカのバージニア州に行き、2年間を過ごしました。

そこでは、公私ともにいろいろな経験ができました。ただ、大規模な基礎研究所の設立プロジェクトはあまりうまくいきそうにないという気配を感じ始めたころに、ちょうど筑波大学のポジション公募があり、運よく採用され日本に帰国しました。

その時その時、自分の研究ビジョンが明確だったわけではありませんが、目の前の問題解決をし続けた結果、ずっと人間の味嗅覚の研究を続けていることにつながっているのかもしれません。

何でその分野に進んだのかというのはまた話が長くなってしまいますが(笑)、学生時代、3年生で実験実習に取り組んだ段階辺りから、人間の嗅覚のことやろうと思っていましたね。

岡本

ありがとうございます!

大学の教授が、なぜ教授になろうと思ったのかという裏側を知る機会って、あまりないので、非常に貴重なお話です。
ちなみに、最近特に、私立の高校で、Ph.D.を持った先生を集めている学校さんが増えてきていて、専門領域において徹底的した特化型の研究をされてきた方々が、大学に行く前の中高生に対して、学びを深める指導をするという学校も増えてきているので、そういった点で言うと、Ph.D.の先生たちの視点がどのように構成されているのかということは、すごく僕も興味を持っているんですけれど、綾部さんの学生時代のからの流れで、大学院でものすごく勉強をされたのも、ご自身の目的意識が明確にあったことが大きいというのは、すごく印象的でした。

「素直」であること「受身」であることは全然違っていて、
「素直」というのは、言われたことに対して、それで終わりではなく、
受け止めた上で、そこから自分で広がっていくことなんですよね。

岡本

特に今、綾部さんのお話を聞いていて僕が思ったことは、どうしても日本の小中高という教育機関の中で、大学に行くためのステップを通ってくる子どもたちは、与えられたミッションやテーマを、親とか学校の先生方という大人から設定されて、その設定されたものに対して取り組みを続けるということをずっと繰り返していて、最後に大学に行くときになって、突然その設定がないフリーな状態で、君は将来何やりたいんだ?と初めて疑問を投げかけられて、自分は何やりたいんだろう?と、数学が弱いから文系とか、いや、なんとなく化学が好きだから理系の領域に行きたいとか、そんな感じで行っている子どもたちが、なんとなく大半な気がするんですよね。

その中で、自分が選択をしていくということって、子どもたちからすると、やはりすごく大きい決定をしなければいけないはずなのに、最終的に決めるのが、近いからとか、安いからとか、偏差値がどうだからとか、そういう要因で決められてしまうことが多いと思うんです。

先ほどのお話を伺うと、綾部さんは、多くの大学の教授とは少し違うキャリアをお持ちだなと僕は感じていてですね、僕の感覚としては、もちろん全員ではないですが、大学に入ってくるまで、どちらかというと受身の生活の中で過ごしてきた子どもたちが多い中で、綾部さんが、実際に大学に入ってきた学生たちをご覧なれて、一般論として、どのような印象を持たれているのか、伺ってみたいです。

大学の先生ご自身からの感想を聞くっていうのは、なんだろう、非常に難しい部分もあるかもしれないんですけれども、一般論で、一個人としての意見として、伺えればと思います。

綾部

私が学生に接するのは、自分の研究室の学生だけじゃなくて、筑波大学にはクラス担任制があって、学部の1年生から卒業までを見守るのですが、その担任も何回もやっています。
学生たちが入学してくるたびに、学生たち自身がどんな気持ちで大学に入ってきて、どのように考えているのかということを聞く機会が多いんですが、やはりその時に思うのは、先ほど少し岡本さんからもお話がありましたが、何をしなきゃいけないとか、何かビジョンを持っていなきゃいけないみたいに、そうさせられているのかもしれませんけれども、すごく思い込んでいるみたいで。

大学生って、学生生活でいろいろと経験をすることで視野を広げることによって、自分は何ができるかということを見つければいいのに、大学に入ってきた段階で、私はこれをしますとか、大学院に行きますという学生が多くいるんですよね。そんな学生に対して、私は時々、大学で何を学ぶかをよく分からないのに大学院に行くの?と言ってしまうんですね。
どうして大学院に行くって決めているの?と聞くと、いやあ何か、社会に出るとか、イメージがつかないんですよねとか言っていて、それ?みたいなね(笑)。そういうことが本当に、私としてはすごくもどかしいんです。

私としては、やっているうちに、自分がすごくこういうことをやりたくなったと思ってくれるのが、自然じゃないのかなと思うのです。もちろん初めから、こういうふうにすると決める生き方もあると思いますし、しっかりと目標を持って進んでいくというのも、それが悪いことだとは言わないんですけれど、他のことを何も知らないのに、それでいいの?みたいな印象は受けるんですよね。なぜこんなに、自分の立ち位置を位置づけをさせられているんだろう?とは思います。

だから、そのために、自分がぜんぜん知らないとかちょっとだけ興味惹かれるなんて科目を取ってみると、自分の興味が他にあるかもしれないことに気づくかもしれないんじゃない?とか、そういう話をします。

特に、少し個別の話になってしまいますが、通常、例えば医学部とかだと、必修科目がしっかりと決まっていて、自由に取れる科目はほぼないと思いますが、筑波大学の心理学類では、卒業に必要な単位の60%ぐらいしか必修科目がないんですよ。あとの40%は、どの科目を取るのかを自分で決められるんですね。

筑波大学は科目履修については学部の垣根が全然ないので、本当に色々な科目を自由に取ることができるんです。だから、学生たちにもぜひ視野を広げて科目を取ってほしいんですけれども、心理の中の科目だけでも卒業の科目の選択はたくさんできるので、最近の学生は、ほとんどがその中で取ってしまうことが多いんですよね。

もちろん、心理学をとことん学びたいという意味で、心理の中だけで履修を埋めてしまうというのはありですし、大学に来て少しだけ学修を深めた上でそういう選択をしたということであればいいのだけれども、なんだかそうではないような。高校まででも、もう少し視野を広げておいてほしいですけれど、せっかく大学という一挙に視野を広げられるところに入ったのに、世界はもっともっと広がっているんだという意識をもって、よし広げてみようとか、あまり考えていないように見えます。

しかも、焦点を定めることが重要といったような、何となくそういうマインドを、最近特に感じますね。 大学に入った時点で既にゴールを決めて、この通りに行くのが望ましいみたいな。だから、色々と見たり迷ったりすることは、よいことだとは思われてないのかなと感じるところですね。

岡本

なるほどね。
ただ、この忙しい社会の中で、CMなんかもそうですよね、タイパとかコスパみたいな、“○○対効果”というところの効果の部分を重視しすぎる子どもたち、学生たちが増えてきているような気が、僕はしていて、
特にタイパなんていうものは、2倍速で動画を見るとか、それこそコロナ禍時代の大学での講義なんかも、動画を使うものがあって、2倍速で見ている学生も、おそらくいたと思うんですよね。

確かに、24時間という万人に指定された、決められた時間というのがあるわけなので、コスパとかタイパというのはすごく分かるのですが、それ以外のことから何か情報を入れたりだとか、自分の領域と関係がない、一見、無駄で関係がないように見えることが、それを取り入れることによって専門領域が広がっていくとか深掘りしていけることにつながるなんてことはよくあることなのに、そこがなくなってしまいますよね。

無駄なものは切るという概念は多いと思います。

綾部

そうなんです。
だから、そうやってみることも必要だよという話をしても、なんというか不安感がね、“これをやらなきゃいけない”と、ものすごく縛られていて、高校生なんてやはりまだ社会を知らないし世間知らずなので、大学に入ってから、これだけ広がるんだ!と実感して、昔はそこからワーッと広げていく学生の数が多かったと思うんですけれど、今はその数が少なくて、みんながすごく縛られていて、そこから外れたらすごく心配という、不安感みたいなものをすごく感じるんですよね。

だから、知らないから見られない、というのではなくて、はみ出たら戻って来られないみたいな、心配感というか不安感みたいなものがあるみたいで。元々まだ、たいしたところに立っているわけじゃないのにね(笑)。

つまり、面倒くさくて外の世界、未知の世界を見に行かないとかではないんですよね。昔はね、怠惰な学生はもちろんいて、でもそれは面倒くさいからという感じだったんですよね。でも今の学生は真面目というところもありますし、面倒くさいという感じではなくて、なんだか絶えず、心に心配感というか不安感みたいなものを持っていて、だからきちんとコスパよく、これをこれだけをやり遂げようみたいな意識が強い人が多い、多くなってしまったのかもしれないと感じています。

岡本

そうですよね。
昔も動かない人間というのはたくさんいたわけで、でもそれはどちらかというと面倒くさいとか、やっても意味がないという諦め、みたいなことが多かったのが、今は失敗が怖いので、不安に感じて、心配だから動かないんですよね。

例えば、その風潮というものは、心理的なもの、社会全体の不安感とか、先が不透明だし、1回失敗してしまうと、もうすべて終わってしまうからみたいな社会心理があると思うのですが、
もうひとつ、実は今の綾部さんのお話を伺っていて思ったことというのが、小さいうちから言われたことだけをやっていくという、言われたこと以外のことやって怒られるとか、言われたことをやって失敗したから怒られるというような、なんでしょう、マイナスの思考というか、受身の思考というものがあるような気がしたんですけれど、その辺りはどうお考えですか。

綾部

いや、もうまさしく、そうだと思います。
やはり一番感じるのは受身の思考というところなんですよね。

もちろん、私は、基本的には、人は素直であるということが一番重要だと思っていて、私の研究室に来る学生も、やはり素直であるという部分をすごく評価していて、結果的になんだかんだと素直な学生が来ているなとは思うんですけれど、素直であるということは、言われたことに対して、そうなんだという気づきがあって、そこからスタートしていけることだと思うんですね。

でも、「素直」であること「受身」であることは全然違っていて、「受身」も一見、素直そう聞こえますが、それはただ言われたことに対してだけで終わってしまうもので、「素直」というのは、こういうものもあるよ、ああいうものもあるよと、言われたことに対して、そうかと自分で受け止めた上で、そこから自分で広がっていくことなんですよね。

だから私は、「素直」であるということがすごく重要な素質だと思っていて、特に研究者になるためには、その基盤として、「素直」という素質が、「好奇心」に繋がっていくので、重要だと思っています。

「受身」というのは、本当に怖いなと思っていて、やはり見ていて思うのは、ずっと受身でいると、しかも大学生までその状態で来てしまうと、大学生になったからといって、もう急には変われないなと感じています。そこまですごく深く根付いてしまっているというか、かっちりと受身体制が身についてしまっている。

昔の自分たちの頃も、もちろん、そういう学生たちもいたと思うんですが、でもそれが染みついているほどのものでもなくて、大学に来たら、それまで少し受身っぽく過ごしてきたとしても、大学生になって、ハッと気づいて、それまでの受身の感じを外すことができて、大学時代にすごく変わっていくことが多かった気がするんですよね。

そう考えると、今の学生たちは、大学に入ってきてから卒業するまで、あまり変わらないんですよ。入学するときには、もうしっかり型にはまってガチガチになってしまった状態で入ってくるから、大学生活もその延長みたいに送っていて、変わる、変われるという機会がなくなっているなと感じます。

岡本

いやあ、今聞いていて、盆栽をイメージしてしまったんですけれども(笑)。
幼木はいくらでも曲げることができるんですけども、成木になってしまうともう曲げようと思ったら折れてしまうという、学生の場合は心が折れてしまうんだろうなという意味で同じだなと思って、イメージをしてしまったのですが、

今の綾部さんの話を伺っていて、子どもたちが小さいうちから「受身」に慣れすぎてしまっているというのは、一方では、親が結果的に「受身」を強要してしまっているようなことになってしまっているはずなんですけれども、でも本来は、親は子どもが成長していく過程の中で、自分の頭で考えて自分で行動できる人間になってほしいと絶対に思っているはずなんですけれども、とはいえ親も忙しいので、朝から「早く起きなさいっ」と始まって、「○○をしなさい」「○○は持った?」という指示を出しがちで、帰宅しても、自分も仕事をしてきて疲れていて、家事もしながら、次の日の準備もしなくてはいけないから、「宿題はやったの?」「何か提出するものはない?」と1つ1つ全部、指さし確認をしていくので、結果、子どもが指示を出されるまでずっと待ってしまって、理想と現実にギャップが生じてしまうという。

しかも学校に行っても、「全員座っていいですよ」「これをやりますよ」と、全体への一斉指示を受けるのが当たり前になってしまっている現状があると思っておりまして。

もちろん世の中も、このままじゃまずいなということで、アクティブラーニングだとか、調べ学習だとか、総合の時間だとか、今であれば、探求だ、みたいなことがやっと生まれてきて、変えていこうと思っている先生方もたくさんいらっしゃると思うんですけれど、一方で、親を含めた教える側の大人たちが、自分自身もそういう教育を受けてきたので、どうやって子どもたちに能動的な学びを提供できるのかとか、僕はよく、“柔軟な固定観念”と言っているのですが、その“柔軟な固定観念”を大人がどう持てるかということが、重要なポイントの1つとなってくると思うんですよね。

このインタビューを見ていただいているのは、小中高校の先生方が多いのですが、その先生方も、どうすればよいのかと悩んでいる部分もあると思います。通常の教育指導要領に沿った教科学習をやらなくてはいけないし、学校の行事もたくさんあるし、これらに加えて、英語にプログラミングに、そして探究にと。かつ、ICTも使いなさいと、もうてんこ盛りで、先生方も疲弊されるだろうなと、なんだか世の中が全体的に疲弊してしまっているような現状があるので、どこから変えていけばいいのだろうというのを、このMIGAKUのインタビューで、色々な専門領域のプロフェッショナルのみなさんに話を伺いながら、専門家の皆さんには、綾部先生も含めて、各々の観点で思うことを、気を遣わずに話していただきたいなと思うんですけれども、 本当に感覚的なものでもよいので、何か、ここからやってみればいいのではないかなということがあれば、もちろん全員ができるわけではないですけれど、数パーセントの先生方が確かにそうだよねと響くところがあれば、その領域から買われる糸口が見つかってくれればいいなと、僕はいつも思っているんです。

ですから、話を戻すと、さきほどの盆栽の話から派生してしまったのですが、どうすれば、小さな幼木と同じように、成木になっても素直に変化をすることができる素地を作れるかというと、やはり、自分の頭で考えて、自分で行動できるようにしていくということだと思っておりまして、とはいえ、難しい問題だと思うんですよね。

綾部さんご自身のこれまでのご経験も含めて、どうしていくべきかというポイントはありますか?

綾部

いやいや、こうするべきなんてことは言えないのです。
本当に難しいことで、結局、この話の初めの方に戻ってしまうかもしれないんですけれど、指示を受けるのを待つという「受身」になってしまうのは、現代が情報過多で、もう頭の中がいっぱいいっぱいになっているからだと思うんですよね。子どもたちも、もちろん大人たちもなんですけれど。

社会全体に情報があふれていて、子どもたちはきっと、取り入れる情報が多すぎて、疲れ切ってしまっているわけですよね。疲れている時って、自分から考えて行動するなんてできないから、疲れ切っている状態であれば、ああしなさい、こうしなさいと、言われたことをやるのが一番楽なわけです。労力を使わなくて済む。楽な状態に流れてしまう。やはり、情報過多の影響が大きいかなとは思います。

あとはもう一つ、 “学習性無力感”でしょうか。自分が何かをやっても、結局それが報われないとなったら、そのことは簡単に学習されてしまうんですね。

学習というと、なんだか学校で勉強するお勉強のように聞こえますけれど、そうではなくて、私達が日々生きていく中で、成長していくということは全部、何かを経験し学習しているということで、「こうすればうまくいく」、「こういうときはこういうふうにするんだ」、ということを学習しているわけですけれども、「こうやっても駄目なんだ、無駄なんだ」ということも、当然、学習するわけですね。

「こういうことをすれば、こんなふうにうまくいく」という学習は、成功例でいいのですが、「やっても無駄なんだ」ということも、学習してしまうことは困りごとです。多くの子どもたちが、無力感状態になっているのではないかなという気も少しするんですよね。

完全に「受身」で、それしかできない、あれも駄目、これも駄目とか、ちょっとやってみようと思ったことがなかなか受けられない、ということがあまりに多くてなってしまっているのかなと思います。とはいえ、これは、簡単には解決できないですよね。

少し話が広くなってしまうかもしれませんが、私達人間が、あまりに人工的なコンクリートの中に閉じ込められたような中で生きすぎていて、もっと、「なんでこんなふうに感じるのか」とか、「自分は何なんだろうか」とか、根源的な存在感をもう少し感じるタイミングはないものだろうかと思います。

最近の高校生の野外環境学習などでは、野外で環境を、風を、感じてみましょうとか、そういう取り組みがあるらしいのですが、そういう機会に、例えば、今見えている葉っぱはなぜ緑に見えるんだろうかとか、においや音ってどうやって感じるんだろうとかを学習するといいですよね。自然環境の中で、実体験しながら目や耳のしくみとか、においを感じるしくみとかを学ぶと、なんとなく自然に知識が入ってくるのではないかという気がします。

自然環境の中と作られた環境としての教室の中とでは、同じような説明を聞いても、その説明の内容と、自分が生きている中であたりまえに見ているもの、できていること自体との結びつき度合が変わってくるんじゃないかと思うのです。

これは“主題性効果”といわれるもので、“4枚カード問題”といって認知心理学の実験として結構有名な、人間の推論を調べる課題があるのですが、例えば、4枚のカードの表と裏に、アルファベットと数字が書いてあって、裏が「6」のカードを調べるにはどれをめくればいいですかというような、論理的に考える課題と、コーラやビールというような飲料の名前と、年齢が書いてあって、アルコール飲料を飲んでいるのは20歳以上であるというルールに違反している人を調べるには、どのカードをめくればいいかを考えましょうという課題があった場合、後者のように、日常的に身近なこと、主題がはっきりしているものであれば、みんなできると、学校でまだ教育を受けてない子どもでもそれは答えられるけれど、前者のように。日常的ではない、数字やアルファベットだけの論理的な課題には、急に答えられなくなってしまうみたいな。
特に日本の子どもが依然からそこが弱いということを言われていますけれども、まさしくそうだなと思っています。

歴史とか、私も子どもの頃はあまり興味もてなかったですが、現存するものには、こういう成り立ちがあるということが分かると、実は歴史も面白いし、生物とか化学とかも、本来は生活にすごく密着していることであるにも関わらず、学校での学習ではそれらの関連性がわかりにくいというところが、何とかならないものでしょうかね。

現場でどうすればよいかというのは、そう簡単に解決できる問題では決してないんですけれども、教室というコンクリートの中で習っていることと、現実を考えた時、例えば、実際に自然環境の中に存在している自分とか、環境の中の人間とか、そういうことを考えた時のギャップが大きすぎるなっていう。環境に対する畏敬の念みたいなもの、自分はその中の1人なんだと思うこと、感じることも、色々な物事を考える基本的なはじまりのような気がしておりまして。

岡本

なるほど。
子どもたちも、小さい頃はみんな、何で?何で?と聞いてきたのが、途中からそれを聞かなくなってくるわけじゃないですか。

綾部

そうなんです、そうなんですよ。

岡本

正解は大人が教えてくれるとか、自分で調べるということがなくなってきているということはすごくあると思いますし、一方で、さきほど、タイパというお話を少しさせていただきましたが、現代人の1日の情報量が、一説では、例えば平安時代の一生分とか、江戸時代の1年分くらいになるということで、先ほど、綾部さんも情報過多とおっしゃっていましたが、本当に、現代人の情報量が多すぎる。

スマホが普及したおかげで、アクセスすれば何でも情報が回っているというのもあると思いますが、その中で、学校側としても外に出ていきたいというものもあって、特に今、コロナフェーズから少しずつ戻ってきているので、余計にこの失われた3年間分、外に出て、実体験を増やすことに繋がっていくことは、すごくいいことだと思うんですよ。

一通りを教わって、知識だけで終わってしまうのではなくて、
そこから、何でだろう?とか、これを発展させたらどうなるんだろう?
みたいな、気づきだってあって欲しい。
知識とプラス、“気づき”がセットになってほしいなと思うんです。

岡本

ただ1つ、今お伺いしていても、やはりすごく感じるのは、どうしても手段と目的というものがあって、何のために、いつも机上で勉強をしているんだっけ?というところがなかなかないので、テストのために勉強しているというようになっているから、どうしても、自然の中でこんなものがあるよねとか、なんでこれが今の世の中で起きてしまっているのだろう、というものがないんですよね。

だから、大人から言われたまま、大学に入学した瞬間に、「綾部先生、私は大学院に行きます!」ということにも繋がっていくんだろうなと、今、伺っていて思いました。

本来は、手段と目的というものをちゃんと考えて、教育の現場でも、点数が取れたからどうとかではなくて、そのテストで出た内容について、外に出てみて、なんでだろうって、教科書には載っていないものがあるよねというところから、気づいてみんなで考えを深めていって、そんなことを通じて面白いなと思った領域が、自分の研究テーマになっていくことが、おそらく一番理想的なんだろうなと、僕はいつも思っているんですけれど。これはどうですかね、綾部さん。

綾部

本当にそうだと思います。

結局、入試で暗記項目を出題することがどうかとか、そういう議論もいろいろとあると思うんですけれど、私は、ジェネラルに一通りのことを学校の先生に教わるということは基本だと思うんですね。
でも、そこから聞いたことでおしまいになってはだめで、すべてを教えてもらえるわけでは決してないですから、余裕を持って、好奇心を持っていたら、一通りのことを聞いてから、これはどうなんだろう?とか、細かいことにまた他の方向性にも疑問を持てると思うんですよね。

何の知識もなければ、何かを調べるといっても調べようという気持ちにならないわけですから、そういう基本的なところは、やはりある程度教室で教わるというか、見つける必要はあるかなと思っています。

ただ、一通りを教わって、そこで終わってしまうことが、今、問題なわけですよね。だから、基本を教わったうえで、自分で色々なことに関心を持って、全てを調べられるわけないので、自分が面白いなと思ったことを調べていけばいいんじゃない?みたいな感じに、もう少しなってくれるといいのかなと。
大学を選ぶ時も、色々な理系・文系の科目を聞いた上で、これってどうなんだろう?と思ったところで、だったら物理に進んでみようとか、そういうふうになっていくといいですよね。

岡本

そうですよね。

綾部

そう。なんというか、偏差値だけで、今、この科目なら何点取れそうだからとか、そういう部分が一番大きくなってしまっていますが、でも、何点取れそうということは、その科目に関しては、基礎知識が、もしかしたら他の人よりも身についているかもしれないので、それなら、そこから、何でだろう?とか、これを発展させたらどうなるんだろう?みたいな、気づきだってあって欲しい。
知識とプラス、“気づき”がセットになってほしいなと、知識だけで終わって欲しくないなと思うんですけれどね。

でもそれも確かに、入試の仕方を変えれば、知識を問うて、プラスアルファでそこからどう思いますかというような入試にしていければ、みんな、そういう場を作れるようになるかもしれませんね。

岡本

そういった点でいくと、所属されている筑波大学さんも、5年後をめどに入試制度改革をして、基本的な学力は共通テストで把握して、個別試験では面接や小論文を中心に変更していく方針をアナウンスされていましたよね。
もちろん、賛否両論あるとは思いますが、先ほども話しましたが、どうしても学校教育機関の目的がどこに向かって走っていくのかを考えたときに、やはり入試が変わらないとということがあるし、とは言いながらも、いくらアイディアや気づきがあったりしても、知識がなかったら、社会に出ても何も役に立たないじゃないかという論調もあるという、これは事実だと思うんですよね。

ですから、そういったことを考えても、知識はもちろん重要で、1+1の知識は絶対に重要なんだけれども、X+Yという、答えが多様であるとか気づきがあるというところも融合して評価していくかという、すごく難しいところに筑波大さんはチャレンジされるんだろうなというのがあって、大学入試が変われば、絶対にその下も変わらざるを得なくなってくるのも事実だと思うので、がんばって変革していっていただきたいなと個人的にはすごく思いますし、綾部さんが、入試制度改革についてお話しされるわけにはいかないのは、重々理解しておりますので伺えませんが、例えば、中学校入試なんかもずいぶん変わってきていて、もちろん大学入試も多種多様な入試が増えてきているのはすごくいいなと思っています。

別の話で、もうひとつ、綾部さんにお聞きしたいなと思っているのが、綾部さんのご専門でもある嗅覚心理学の領域について、人間が、かおりから心理的にどのように影響を与えられるかということは、非常に興味を持つ人も多いと思います。
先ほどの話しで、なぜ?ということを考えてみると、例えば、ガードレールの下の焼き鳥のかおりは、みんな焼き鳥だと認識してふらっと入りたくなるとか(笑)、いいかおりと不快なかおりは何が違うのかとか、そういうことを学びたいと思う子どもたちも、たくさんいると思うんですよね。

ただ多くの子どもたちって、心理学という大きな括りの中に、具体的にはどんなことがあるのかも分からなかったりすると思うので、まず大きな範囲での心理学というものに興味がある子どもたちがいた場合に、どういう能力というか、素地があるといいかなというのがあれば、教えていただくことは可能ですか。

綾部

ものすごく難しい質問ですね。
やはり心理学って、すごく範囲が広いんですよね、色々な分野と接している。皆さんがよくイメージするであろう心理相談、カウンセリングの臨床系もありますし、私は人間の知覚系を専門としているので、どちらかというと工学とか産業界に関わる、つまり、人間がどういうふうに感じるか、それが製品とか商品に結びついていくのかというものですが、そういう分野もありますし、もっと世の中一般的に、政治とかにも関わってきますが、集団としてどういうふうに感じるのか、ふるまうのかとか、あとは学校教育の場で、子どもたちをどうやってうまく成長させられるのかとか、色々な分野があるので、こういう人が心理学には向いているとかはなかなか難しいのです。

でもやはり基本的には、人に興味があるとか、そういうことですよね。人に興味がなければ、そもそも心理学なんて興味を持たないとは思うんですけれどもね。

なので、どういう素地があったらというのはないですね。でも、心理学に限らず、最初にも話しましたが、素直であって、やはり好奇心は持っていてほしいです。好奇心があれば、色々なことを経験しようとするわけですよね。
好奇心があって、何だろう?と思ったら、そこに歩いて行って覗いてみるとか、何かを試してみるとか、色々なことをするわけで、そこで経験が発生して、その経験が学習になっていくわけですけれども、私は、においを研究していて思うのは、やはりガード下のにおいも、経験しなければ、そういうところで美味しい焼き鳥を食べた経験がなければ、ガード下にいて、あ、焼き鳥のにおいがするとは思えないもので、人間はすべて、経験によって、その感覚や知覚も作り上げられていると思うんです。

嗅覚はよく、原始的な感覚であるみたいなことを言われていて、確かに動物はそういうところがありますし、人間にも原始的な感覚としての嗅覚の能力が残っているとこも多少はあると思うのですが、でもほとんど人間の場合は、やはり経験なんですよね。だから、いかに経験を積むかということがすごく大切です。

だから、自然な環境の中で、子どもの頃に虫が飛んでいる音を聞いたり、虫が腕にとまって、ふわっと虫が飛んでいく皮膚感覚を味わったり、花が盛んに咲いている中で、このにおいって何かなということに気づいたり、そういう経験が全てを作っていくので、その好奇心を持って経験を積んでいって欲しいと思います。

もちろん、これは心理学に進む人だけではなく、どの分野の人もみんなそうだと思うし、人間としてそうあって欲しいと思いますが、特に心理学は、人と接して、人のことを追求するので、そうであればやはり、人への好奇心とか、人がする体験や経験というものに関心を持つべきだと思うので、関心持つということは、客観的に見れた感じを持っているだけではなくて、自分自身がそうあるべきなのではないかなと思いますね。

岡本

“人に興味を持つ”というキーワードですね。
モノに興味を持つ、人に興味を持つということに対して、今の子どもたちはすごく不得手になってきている、数がすごく多くなっている気がするんですよね。
特に、表情を読み取れない、マスクをしたことでさらに読み取れなくなったので、さらに興味を持たなくなってきていますよね。

もちろん、デジタルの良さというものもあるのですが、反面、その悪さの影響が大きくなってきているように、僕はすごく感じていまして、その辺りってどう感じられますか?

綾部

そうなんですよね。本当に、人との交流に積極的でない、よく言えば、遠慮している。

岡本

そうなんです。

綾部

例えば、私の研究室ですと、卒業研究や実習実験を進めようとすると、お友達に実験に参加してもらって、協力してもらわなくてはいけないのですが、最近は積極的に声をかけられないと躊躇する学生がちらほらいます。
今はそれこそ昔と違って、LINEグループなどもたくさん持っているわけで、簡単にたくさんお友達にお願いできるのではないかなと思うのですが、なかなかレスポンスがもらえなかったりするとそれ以上は踏み込めないようで、逆のお願いされる立場であったとしても、うまくいかなかったら周りに迷惑をかけてしまうと考えてしまうようなんですよね。

先ほどの怠けているかという話のように、怠けているわけではなくて、人に迷惑をかけるとか、自分が人と接したくないというよりも、自分が何か関わることで迷惑をかけるみたいな言い方をすごくするので、少しびっくりしたんですけれど、他の大学の先生も全く同じことをおっしゃっていたので、やはり今の若者が全体的にそうなんだと思います。

コロナ禍の影響で急にそうなったのかどうかというのは判断しにくいのですが、何と言いますか、大学の時の友達はもちろん、友達の間に遠慮というものは必要ですけれども、ちょっと実験に参加するお伝いをして欲しいくらいは軽く言えないものかなあと。

岡本

なるほど!(笑)

綾部

だから、確かに、他人のことを考えられるとか、逆に他人のことを考えすぎて、しまっている人は多いので、それも良し悪しあしなんですけれども、その考え方が、方法論としてちゃんと他人を理解しようとしているのかなと、その方法論が根本から間違っているのかなと思ったりもしますけれどね。

岡本

いやでもね、綾部さん、今の子どもたちは、全体としてみるのは申し訳ないけれど、やはり圧倒的に経験が少なくなっているというのがあると思います。
経験が少ないから、こう思われたらどうしようということを、行動する前から考えてしまって、経験数が多ければ、こう言ってもこんな感じだよねとイメージできるけれど、その感覚がないというのと、あともう1つ、デジタル社会の中で、X(旧Twitter)の裏アカとか、裏側で何かを言われたらどうしようとか、色々なことを考えてしまっているということが、すごくある気がするんです。配慮しすぎてしまっているのか、経験が足りないのか、デジタルの問題なのかって、全部が複合的に絡み合っているので、難しいだろうなというのはすごく分かるんですけれどね。

でもこれは、心理学の学生さんだけではないと思うんですよ。綾部先生のお立場から考えると、人を助けるためにやっていて、周りの友達もその気持ちを持っているわけだから、ちょっといいかな?と言える人間関係ぐらい作れるようになろうよというのは、先生の立場からを思うと非常に言いづらいけれども、そう思うよなあと、僕は今伺っていて、感じたことだったんですけどね。すごくよくわかります、そこは。

綾部

そうなんです。
もちろん、中には、構わずに周りを巻き込もうとできる人もいるんですけれどね、やはり全体から見ると少し浮いた感じになってしまうんですね。だから、本当に、ちょっと困ったなあと思います。

多様性やインクルーシブの考え方や平等性・公平性というものも、
より重視されるようになる中で、これだけ社会環境や考え方が変わっていても、
学校は、小学1年生からみんなが同じ教育を変わらず受けていて、
100年以上やっているやり方をそのまま続けていていいのかな
という感じはするんですけれどね。

岡本

そうですよね。
今の時代、世界全体で、感染症に物価高、電力不足とか、異常気象とか、色々な問題がある中で、VUCAの時代に突入しているとよく言われていると思いますが、そういう先が見えない世界の中で、これまでのお話にもキーワードが出てきていたのでそこに内包されていると思うのですが、子どもたちが今求められている能力とか、それを支援していく周りの大人たちはどういうことをやっていくべきなのかということは、今、教育の現場、当然大学のアカデミアの立場でも悩まれていると思います。小中高の先生たちもすごく悩まれていると思うんですよね。
だから、その先生たちに対するメッセージとか、エールも含めて、最後にお話していただけないかなと思います。

綾部

そうですね。
大学の学生たちを見ていても、小中高校の先生方は本当に色々と悩まれるだろうなと思います。多様性やインクルーシブの考え方や平等性・公平性というものも、より重視されるようになって、色々な特性を持った子どもたちが、一つのクラスにたくさんいる中で、先生としても、一人ひとりのレベルに合わせてあげたいと思いながら、できることには限りがあるので、相当なフラストレーションもたまると思います。

例えば、ギフテッドの子どもたちも、アメリカのように別のカリキュラムにしてあげて、もっと知的好奇心を伸ばしてあげられるようにするとか、これだけ社会環境や考え方が変わっていても、学校は、小学1年生からみんなが同じ教育を変わらず受けていて、100年以上やっているやり方をそのまま続けていていいのかなという感じはするんですけれどね。

岡本

そうですね。
おそらく、皆さんもそこは共通していて、でもやはりそれに反対される方々もいて、それらを合わせていくと、ガラガラポンと出てきても、形をちょっとだけ変えてとか、色が違うだけとか、結局ほぼ変わっていないというようなものが出てきてしまうのが、見ていて歯がゆいところなんですけどね。

本当に難しいなと思うのが、学校の先生方にも、もちろん色々な方がいて、改革をしていきたい人もいれば、変えたくない人もいて、言われたことだけをやりますという人もいたりて、ここをグリップしていくには、相当強いリーダーシップを発揮しない限り絶対無理だろうと。私立でさえ苦労されているのに、公立での教育となると、本当に難しいだろうなと思います。先生方だけでなく、ご家庭も多種多様だし、本当に大変ですよね。

綾部

はい。
これは先生方へのメッセージなんかにはならないですが、やはり先生方の質ってすごく重要で、以前聞いた話で、本当は一番能力の高い人が幼稚園の先生になるべきで、次に能力の高い人が小学校の先生で、中学校高校というのは、ある程度その専門のことが教えられればいいという話があって、それは本当にそうだなと思っているところがあるんですね。

筑波大学でも小学校の教員を養成するようになっていますが、とはいえ、全体的に学校教員の不足の問題があったりする中で、やはり学校教育はすごく重要だということを、政治家からちゃんと理解して、元々優秀な先生方が、だんだん疲労困憊してそぎ落とされてしまっていく感じにならないようにするとか、私自身、教育学の専門でもないので、こんなことを言える立場では全然ないんですけれども、教育学の先生方もそういうことを考えていらっしゃるんじゃないかなと思うんですけどね。変わっていくのはなかなか難しいでしょうかね。

岡本

国レベルでのフレームを変えていくのはかなり厳しそうだなと感じますけどね。
もちろんいつの時代も子どもたち自体は変わりませんが、これだけ社会が変化していくと、その影響を受けて成長していくものなので、今の時代において、子どもたちが変わるのには、今のフレームを1回ガラガラポンしない限り、絶対にこれは変わらないと思っているので、であれば、僕は民間の中での取り組みということで、変えられるところから一気に変えていこうと思って、ずっと動いて奮闘してはいるんですけど。

いやでもね、このインタビューも本当に読んでほしい方には届かないことが多いのでね、悩ましいところではありますが、でも、今回の綾部さんのお話は、おそらく、このロングインタビューを定期的に読んでくださる一定数の先生たちには、すごく響くと思います。

綾部

何の解決にもなっていないのですが…。

岡本

いえいえ、そんなことはなくて、明確な答えがないこと自体が答えだと思っているので、だから、それを先生方とも一緒に考えながら、時代とともに、子どもたちの能力とともに、変えていき続ける、進化をし続けるということが、やはり僕は重要だと思っているんですよね。

そういう点で考えると、今回、綾部さんがお話されていたような、「素直」と「受身」は違うんだよということ、「素直」というものは、その裏側には気づきがあったりとかそういったものに繋がっていく行動の素地、言われたらやりますではなく、自分で受け入れて、気づき、考えて、広げていけることで、その部分を伸ばしてあげられるように、学校の先生方も本当に大変だと思うんですけれど、負けずにやってほしいなと、僕も強く思いました。

綾部

はい。そうですね。
キーワードを敢えて挙げるとすると、「素直」であることと、そしてやはり「好奇心」ですね。「好奇心」が経験を生むので。

子どもって、本当に、小さい時は、なんで?なんで?と言っていたのに、だんだん何にも言わなくなるんですよね。
私は、自分の研究指導教員から、綾部さんって知りたがりだよねと、やや不機嫌そうな顔をされていつも言われていたので、嫌われているんだなと思っていたんですけど(笑)、今思うと、その先生は、誰かをべた褒めするとか、面と向かって褒めるということをされない先生だったので、きっとあの言葉が、先生の私に対するお褒めの言葉だったんだなって思っていますけれどもね。

例えば植物の名前とかも、その花を見て、これは何ていう花だろう?と言うと、人によってはたまに、そんなこと知って何になるの?という人もいて、逆にどうして知りたいと思わないのと感じるのですが、もちろん花だけではなく、何事に対しても、何でそうなんだろう?とか、なんで?なんで?みたいな「好奇心」が常にあると、本当はいいんだろうなと思うんですよね。

岡本

なるほど。“なんで?を引き出す”ことが、次の世代の育成のためのキーワードですね。
本当にそう思いますし、逆に言うと、小さいうちからの「好奇心」をなくさないように、環境を作っていってあげることも、すごく重要なんだなということを、綾部さん先生の話をお伺いしていて感じました。

本当にありがとうございました。すごく楽しいインタビューをさせていただきました。

綾部

いえ、こちらこそ、色々と、自分が考える機会になります。
ありがとうございました。

Today’s Expert

綾部 早穂 AYABE Saho

筑波大学人間系 教授
筑波大学第二学群人間学類卒。
高砂香料工業(株)総合研究所研究員を経て、筑波大学大学院博士課程心理学研究科入学、その後単位取得退学。1998年 博士(心理学)。
日本学術振興会特別研究員(PD)、筑波大学心理学系 助手、健康科学大学福祉心理学科 助教授を経て、
2005年~2007年 Philip Morris USA, Research & Technology, Sensory Research Groupで上級研究員として主に味覚の研究に従事。
2007年10月に国立大学法人筑波大学大学院人間総合科学研究科 助教授に着任、2013年より筑波大学人間系 教授。

Interviewer

岡本 弘毅 OKAMOTO Koki

教育のソリューションカンパニー、株式会社エデュソル 代表取締役。
特定非営利活動法人子ども大学水戸 理事長。
一般社団法人ロボッチャ協会 代表理事。
世界に羽ばたく「倭僑」の育成のため、従来の教育だけではなく、STEAM教育やSDG’s教育(ESD)、グローバル教育を中心に、3歳から社会人までの幅広い年齢にあわせた、様々な教育プログラムを提供している。また、子どものための大学を設立し、累計10,000人を超える学びの場を提供している。 2020年、株式会社電通、株式会社TBSホールディングスとともに、JVとして株式会社スコップを設立、実践的想像力を育むオンラインスクールSCHOP SCHOOLを開校。