Interview 001

2021/11/11

国立環境研究所 地球環境研究領域
副領域長
江守 正多さん
EMORI Seita
国立環境研究所
地球環境研究領域
副領域長
江守 正多さん
EMORI Seita
気候変動問題を解決するためには、社会の大転換が必要。
自分の意見をしっかり持った上で、多様な意見から学びながら、
考えていくことが大事。

岡本

本日はよろしくお願いします。
国立環境研究所の江守先生に今日はお越しいただいております。江守先生、早速ですが、今日は、はじめて江守先生を知る方もいらっしゃると思うので、江守先生の自己紹介と、今どのようなことに取り組まれているのか、少しご説明いただけますでしょうか。

江守

はい。国立環境研究所で、気候変動研究をしている、江守正多と申します。 僕は、元々は、気象学っていうか、気候がどう変わるかということなんですが、「地球温暖化」なので、大気中のCO2が増えると、気温が上がったり大雨が増えたりするわけですけれども、それが実際どうあるかっていうのをコンピューターでシミュレーションする、そういう研究から入って、今は、より広く、「温暖化すると何が起こって、社会はそれにどう向き合わなくてはいけないのか」ということと、「それを止めるために何をしなくちゃいけないのか」、それを止めようと思うと、化石燃料(石炭・石油・天然ガス)を燃やすのをほとんど止めて行かなくちゃいけないんですけれど、そうすると、再生可能エネルギー(太陽・風力)でいけるのか、原子力は必要なのか、やり方によっては、今度はそれが社会にとってのリスクになるわけですよね、そういうことをなるべくいろいろな角度から考えたいなと思って、いろいろな人と議論したり発信したりというのが、最近のことですね。

岡本

この前、YouTubeで、江守先生の議論をまとめた素晴らしいキュレーションサイトを拝見しましたが、地球環境問題、 SDGsなども、経団連も含め、クローズアップされているじゃないですか。その中で、全くもって明瞭な回答がない状態の中、新しいものを考えて、対応策まで考えてやっていかなければいけないっていうのが、すごく見ていて難しいなあと、改めて思っておりまして、先生にとってみると、そういった「答えがないもの」に対してのアプローチをずっとしていくという中、不安なこととか、悲観的なものも、最近正直多いと思うのですが、これらをどのように捉えていらっしゃいますか?

江守

そうですね、やはり気候変動問題において、解決するためには、社会の大転換が必要で、それってまだ誰も見たことがないわけですよね。例えば、エネルギーが、今までの化石燃料だったものから、全部、再生可能エネルギー(以下、再エネ)になるかとか、車が、ガソリンのエンジンで走っていたものが、全部、電気自動車になるかどうかとか、本当になるかどうかも分からないし、なった時に、今までそこで働いていた人はどうなるのかとか、石油を輸出していた国はどうなるのかとか、みんなその最終的な答えを知らないまま、その転換に向かって動こうとしているわけですよ。今、転換の方向に向かうんだっていう国際的な合意が、結構できていること自体がすごいことだと思うんですけれども、その中で、いろいろな立場の人がいろいろな違うこと思っていて、それを言うわけですよね。その中で、自分の意見を持っていくこととか、誰かが言っていることからどの部分は学ぶべきで、どの部分は批判的に見るかとか、そういうことを考えていくことっていうのが、すごく大事だし、それをやること、そう考え方をすることっていうのが、今の時代の中で生きることそのものだというところはあると思うんですよね。

岡本

正直、全然意見が違う方もいらっしゃるじゃないですか。「地球温暖化はまだ起こってない」っていう方と、「そうじゃない」っていう方がいる。この相反する、ベクトルが真逆な場合って、意見のすり合わせというのはできるものなんですか?

江守

それはですね、割と、「やろう」と思ってきた時期もあるんですけれど、今、どのように思っているかというと、「社会は多様である」と。多様な方がいい面っていうのは、あらゆる側面においてきっとあるんですよね。だから、社会は多様なので、その逆張りが好きな人もいれば、陰謀論が好きな人もいると。それは、例えば、教育とかあるいは政府が、正しい情報ですということをいくら発信したとしても、ゼロにはならないだろうと。だから、そういう人たちがいるよね、という前提で、社会を進めていくっていうことを考えなくてはいけないかなという感じはしますね。

岡本

なるほど。多種多様なダイバーシティって、最近よく言われているもので、学校の教育の現場はもちろん、どの組織でも同じだと思うんですけれども、その中で、多様な人間とのすり合わせができなかったとしても、お互いに意見を出し合いながらやるっていうのは、必要なことだと僕も思っていて、全て同じ意見だと、発展もなかったりするので、対局の意見を聞きながら、一つの何かの答えを出していくというのは、すごく大切だと思うんですね。でも、それって、今の学校の現場とか、そういったその組織の現場では、なかなかうまくいかず、「排除する」っていう方向にいってしまうこともあると思うんですけれど、「共存していく」ということって、やはり難しそうに見えるんですよ。それはどう思われますか?

江守

温暖化が正しいか間違っているか、みたいな話で言うと、普通の人は、「正しい」というデータを見せれば、だいたい納得してくれる時代に、ようやくなってきたので、「違う」という人がいても、そういう人もいますね、というくらいで、全体としては、「正しい」ということを前提とした方向に進んでいくと思うんですよね。だけど、少し違うこと言う人が、ちょっとだけいることによって、こちら側も、「本当に正しいか」っていうのを、常に説明しなければいけないから、ある種の緊張感が保たれるし、そこは「多様性」として、そこに存在している役目が、もしかしたらあるのかもしれないですね。科学的には、「正しい」ってことを前提に、社会が進んで行くとしても、じゃあ、再生可能エネルギー100%でいけるのか、原発が必要なのか、それとも化石燃料はまだ必要で、それで水素とかを作って、CO2を地中に埋めて、まだしばらく使っていくべきなのか、そのやり方で、やはり意見が分かれるわけですよね。それは、立場によって、「自分はこの仕事をやっているからこれがいい」っていうこともあるかもしれないけれど、例えば、再エネ100%でいくって決めても、やっているうちにすごく難しい問題にぶつかるかもしれないわけですよね。違う考えの人が、今まで誰もいなかったら、それまで批判的に考えたことも全然なかったから、突然、「ぶち当たりました、どうしよう」、となってしまうかもしれないけれど、違う立場の人が、批判的に検討してくれるお陰で、「問題点に割と早めに気がつけました」とか、そういうことも、これから大事になってくると思うんですよね。最終的には、やっているうちに、どこかうまくいく方向に収斂していくのかもしれないけれども、その過程で、違う考えの人たちが突っ込みを入れることによって、今後主流になるかもしれない方向自体が、より鍛えられていく、みたいなことは大事ですよね。

岡本

基本的に、今、「SDGs」っていうのも、言葉として市民権を得られるようになってきて、2030年まであと何年しかないんだというのはちょっと置いておいたとしても、その中で、今、江守先生が研究されている領域、プラスその実学として、いろいろとエビデンスをとって、今がどうあるべきかっていう提言も含めて、この領域は今後どのように発展をしていくか、発展していかなければならないか、どのようにビジョンを描かれていらっしゃいますか。

江守

はい。これは、どのレベルで答えるかによるんですけれども、今までは、「従来型の経済成長」っていうのが、常識だったわけですよね。ですが、今は、「新しい経済」に移行していると。それは、今、世界が移行しようとしているのは、「グリーン成長」なんですね。今までは、環境と経済成長っていうのは、対立するもので、その対立するもののバランスを取らなくちゃいけないから、どこで妥協するかということを、ずっとやってきたわけですよね。それが今度は、環境を良くするために経済成長するという、環境を良くする産業が、これから儲かるし、成長するんだ、市場からも評価されるし、投資も得られるんだという方向に、今、世界は大きく舵を切っているんです。これは、ものすごい一つのパラダイムシフトが起きていて、それで、経済成長というのが環境と矛盾しなくなったので、そっちの方向にガーっと行こうと。再生可能エネルギーも増やしていこう、電気自動車、バッテリーだ、という方向に、今、なっているんですけれど、次に問われるのは、「本当にそれでうまくいくか」ということなんですよね。これは、今、いろいろな議論があるので、僕自身も、正解があって言っているわけではないんですけれど、それはやはり、グリーン成長がうまくいくためには、「デカップリング」といって、例えば、CO2の排出量でいうと、今までは、経済成長とCO2の排出は、「経済が成長すればCO2の排出量も増えていっていた」んですけれども、これからは、効率を上げたり、再エネを使ったりすることによって、「経済は成長するんだけど、CO2の排出量は減っていく、そこを切り離していく」っていうのが、今、描かれているビジョンなわけですよね。でも、それって本当にそんなにうまくいくのか。例えば、再生可能エネルギー、太陽・風力に全部やればいいじゃないかって言っても、例えば、太陽光パネルを生産する時に、シリコンを中国の強制労働で作っているかもしれないとか、電気自動車のバッテリーのリチウムとかコバルトとかの原料を取るときに、発展途上国で過酷労働をしているのではないかとか、そういう話が出てきているし、それは少し社会的なディメンションにおいて、ゆがみを押し付けているということですけれども、そうではなくても、例えば、分かりやすい例でいうと、自動車の燃費がどんどん良くなっていくと、ガソリン代が減っていくので、それで良かったと思って、より大きい車を買ってしまうとか。2台買ってしまうとか。そういうのを「リバウンド」っていうわけですけれど、効率の向上によって浮いた分のお金や資源を使って、別の消費をしてしまうことによって、効率が良くなった分だけ、物質的な消費は減っていってくれないじゃないかということなんですよね。そういうことを考えると、グリーン成長でどこまでいけるかわからないと。じゃあ、成長っていうもの自体をどうするかっていう議論が始まっていて、成長をどうするかっていうと、じゃあみんなで貧しくなりましょうって話ですか?ってなるんだけれども、むしろ、成長し続ける世界には矛盾があって、それを見直していくことによって、みんなさらに今よりも幸せになれるっていう、そういうビジョンが出てきて、それが本当にうまくいくかどうかも分かりませんけども、そういう説もあるし、いや、グリーン成長でいくんだっていう説もあるし、そこのところが今、混沌としているところだと思うんですよね。

岡本

例えば、さっきのグリーン系のエネルギー、例えば、水素などもあったり、また再エネもあったりするじゃないですか。その上で、今、「大気中からCO2を吸収する装置」とか、「家庭の中のCO2を吸収する装置」を作ろうなど、色々な技術ができてくると思うんですけれど、江守先生から見て、これはすごく面白いなあとか、ユニークだなと思ったものって何かありますか?

江守

そうですね。ネットで見ていて、しばらく前ですけど、割と面白いと思ったのは、「羽がない風車」とか。鉛直に棒が建っていて、棒が揺れていることによって発電するやつとか。あとは、バッテリーなんですけれど、バッテリーのやり方っていろいろあって、化学反応で電気的に貯めるのが、普通のバッテリーのイメージですけれども、「揚水発電」ってありますよね。電気が余っている時に、水を山の高いところに運んでおいて、電気が足りない時に、その水を流して水力発電にすると。これは、バッテリーなわけですけれど、非常に巨大なバッテリーなわけで、それは、山があってダムを作るところじゃないとできないじゃないかとなるんだけれども、重たいトロッコみたいなものを、山の斜面みたいな所に造って、それで同じことをやっていく。何しろ、重いものをあげて下げればいいので、別に水である必要はないということをやっているYouTubeを見た時に、面白いと思ったし、あと、同じ発想で、コンクリートブロックを上げたり下げたりして、それでその重いものの「位置エネルギー」でバッテリーにするっていうのも見たことがあるし、なんかそういうね、まあそれは多分、思いついた人はまだ追求しているかもしれないけど、様々な理由で今は実用化するほどはうまくいってないとは思うんですが、だけど、なんだかやはり、コロンブスの卵みたいな、「まだみんな気が付いてないけど、これやればいいじゃん」みたいなものっていうのは、まだ存在しているんじゃないかなという気がするんですよね。それはもしかしたら、前に誰かが試して駄目だったことかもしれないし、それがちゃんと経験としてどこかに蓄積されていて、まだ探索されてない道を試すっていうのがあるかもしれないし、いろいろなスタートアップの人がいろいろな道を探していって、そのうち、この課題を乗り越えたらうまくいく、で、乗り越えた人が出てくるっていうことが、これからもあるんじゃないかなって思っています。それは、ITとかそういうところではいろいろ探索されていく道はあるんでしょうけれど、エネルギーの分野のもっと素朴なことでも、今まで、何でみんな気がつかなかったの?っていうことが、もしかしたらあるんじゃないかって気がしますよね。

変わっていかなくちゃいけないことが分かっているところは変わり始めている

岡本

なるほどね。さきほどから、「ESG」についても、少し出てきたじゃないですか。コロンブスの卵的な発想というのも含めて、これまで考えられなかった思考で、ものすごくクリエイティブな発想が出てきて、原始的なものの方が実は良かったりする場合というのも、多分出てくると思うんですけれど、今、お話をされていた中で、ふと、はっと思ったことがあったんですが、ESGに取り組める会社さんというのが、沢山あったりする、エネルギー会社とかスタートアップ企業もそうだと思うんですけれど、逆に、今まで主流だった国の産業の中で、経済発展に寄与していた会社さんが、今度はいきなり悪の権化のように言われてしまうような、振り子の現象が、今、起こり始めているような気がしていて、そういった企業は今からどうあるべきか、潰れてしまえというのは簡単だと思うんですけれど、それをどう、フェーズチェンジというかピボットをしていけばいいんでしょうかね。

江守

それは、僕は、「こうすべきだ」とかいうふうにしている立場ではないですけれど、見ていて思うのは、やはり、変わって行かなくちゃいけないことが分かっているところは変わり始めているんじゃないかなと。それは、僕がいつも挙げる例というか、自分の中で非常に、僕はそういう企業の経営とかって全く興味がなくて、というか知らなくて、そういう目で見ていた時に、自分が一番わかりやすくて納得した例というのが、カメラのフィルムなんですけれど、デジカメ時代になった時に、フィルムを作っている会社って、もうフィルムは売れなくなって、具体名を挙げると「富士フィルム」という会社は、 「富士フィルム」 って名前だけれど、今は、なんだか総合ファインケミカルカンパニーになって、何を作っているか分からないけれども、昔作ったもののいろいろな技術を生かして、今の世の中に役に立つものをいろいろと作っているじゃないですか。それは生まれ変わったんだと思うんですよね。中身がトランスフォームをしていると。大転換をしていると。それと同じように、今のエネルギー産業、化石燃料産業、石油会社、ガス会社、これが少なくとも、「総合エネルギープロバイダ」にならなくちゃいけないと思うんです。でも、今、エネルギー産業はみんな、再エネに投資してやっていますよね。少なくとも、まず多角化を始めて、石油会社もガス会社もみんな再エネをやったり、電気を売ったりするようになり始めたし、その一歩先を行くと、多分、ソリューションプロバイダだと思うんですけれど、もうエネルギーは別に作らなくてもいいと。例えば、節電のノウハウを売ってもいいし、蓄電を売ってもいいと。何しろ、必要なエネルギー消費がエネルギー供給とバランスする状態を作って、お客さんがそれでニーズが満たされる状態を作ればいいのだから、別に、「実はエネルギーを作らなくていいんだよ」という話になると、さらにもう一段階前進するんじゃないかと思うんですよね。そういう、エネルギーソリューションをプロバイドする、プロデュースするような会社に変わって、「もうほとんど実際はエネルギーを作っていません」、みたいな状態になるかもしれないし、例えば、自動車会社で言えば、今まで自動車製造業だったわけですけれども、具体名を言えば、「トヨタ」も、「モビリティサービスカンパニー」になるんだというふうに言っていますけれど、多分、モビリティサービスプロバイダになって、さらに、僕はおそらく、移動っていうのは今回のコロナをきっかけに、よりオンラインで代替されていくようになるし、さらに脱炭素化するから望ましいなと思っているんですけど、そうすると、そういう移動を代替するバーチャルのコミュニケーションみたいなものも、モビリティプロバイダが一緒に総合的にプロデュースするようになったら、多分それが次のビジョンになると思うんですよね。そうじゃないと、自分は移動をプロデュースしていますとなった時に、移動を代替する会社が別に外側に出てくると、そことの競争になって、そこにもしかしたら負けちゃうかもしれなので、そっちを取り込むような形で、総合プロデューサーになるプラットフォーマーになるとか、そういうふうに化けていかなくちゃいけないんだろうっていうのが、僕が傍から見ているイメージですね。

岡本

なるほど。すごい、おもしろいなと思ったんですけれど、江守先生と話しているといつも、知見が、当然ですが専門家なので深いっていうのと、話が上手いとのいうのと、本当にあの、ポケモンから専門まで、お話をさせていただいているといつも本当にすごいなと思いながら見ていて、その中で、そういう知見以外のものも含め、ご自身が、この今の地球環境リスクとかそういったものに、いつ目覚めたっていったら変なんですけれど、「方向性」として決めていって、今の江守先生を形成していったのかという「キャリア」について、すごく興味を持ったのですが、いかがでしょうか。

江守

そうですね。僕は、そういうふうに聞かれると答えているのは、これは、その頃からそう思っていたわけではなくて、ある時期から振り返ると、ここがきっかけだったかなって思うのは、高校2年生の時に、「チェルノブイリの原発事故」というのがあって、それで、その時は何が起こったのか自分ではあまりよく分からなかったんですけど、何だかそういう事故が起こって、放射能が飛んできたらしいと。その後テレビを見ていると、「日本の原発は安全なのか」っていうディベートが、結構いろいろなところでやるようになっていて、「朝まで生テレビ」もその頃始まってやっていましたし、NHK の討論でもやっていましたし、そういうのを、たまたまいくつか見たんですよ。別に見ようと思ってみたわけではないんですけれど。そうするとですね、結構そこで不思議な感覚を覚えたのは、自分は、「よく見ていたらどっちが正しいかわかる」と思っていたんですね。で、よーく見たんだけれど、わかんないんですよ。つまり、原発推進派の電力会社を中心としたみたいな人たちと、反対派のNGOとか、地域住民とか、そういう人達で、それぞれに根拠を出して、どっちが正しいということを言い合っているんだけど、どっちも最もに聞こえたんですね。これがなんだか、「なんだろう?」ということを思って。その時、素朴に思ったのは、自分は、そういう科学技術の関係する社会の重要な問題で、正しいことを理解したいと、正しいことを理解して、これが正しいですよっていうことを人に伝えたいというふうに思ったんですよね。そのためには、そういう分野の専門家にならないとなって考えて、それは知識を得ることだろうなと最初は思ったので、大学に行って、原子力の専門家になっても良かったんだけど、なんとなくひよりまして(笑)、その時たまたま見つけた別の問題であった、「地球温暖化」という問題に入っていくんですよね。それも、「コンピューターで予測すると温度が上がると言われているけれども、本当だろうか?」みたいなものがあって、これもやっぱり自分でもっとよく知らないと分からないと思ったので、じゃあこれがいいやと思って、その知識を得ようとしたんですね。それで、知識を得てみて何が分かったかというと、これは、「知識だけでは、賛成派と反対派の論争は解決しない」ということが分かったんですよね。特に、原発の問題というものは、やはり社会的な問題であって、価値観の対立や立場の対立であったりとかして、知識だけではない、そういう問題で、重要な問題があるんだなというのがわかったと。じゃあ、今度はその、そういう側面を含めて、「自分はこう思う」みたいなことっていうのが、もっと言えないだろうかと思ってきたっていうのが、自分の中での変化ですね。

岡本

チェルノブイリの時は、大きな転機というか、きっかけのひとつだと仮定するならば、その時代の江守さんの高校生の時と、今の子どもたちの高校生の時代って、当然、その時代とともに変わってきて、技術的なものも変わってきていると思うんですが、その当時と比べて今の子どもたちと決定的に変わってしまったなということは、時代的なものの中で、何かありますかね?

江守

そうですね。やはり、見ていると、「SNS」ですかね。やはり、昔はですね、なんだかんだ言っても、みんなテレビを見たり、新聞を見たりしていて、同じ情報源を元にして違うことを感じる、みたいなことが多かった。まあ、本とかだと、ある本を読んでいる人、読んでいない人、もちろんその前提は違うわけですけど、でもやはり、今ほど極端じゃなかったというか、今の方が、オンラインで、「自分の得たい情報しか得ない」。情報源の方向が決まってしまうというか、それが顕著になっているってと言われるし、そうなんだろうなと思うわけですよね。例えば、今の「ワクチン」にしても、摂取するべきだっていう人と、摂取するべきじゃないという人がいて、摂取するべきじゃないっていう人は、もう、そうとしか思えないような情報に常に接しているわけですよね。そこには同じ考えの人が集まっているオンライン上の空間があって、そこでは、その情報で完結しているわけですよね。何の矛盾もない。で、そのようになってしまうと、そちら側にある、別の真実を元にした合意の体験みたいなものと、こちら側が交わることというのは、すごく難しくなってしまうってことが起きますよね。それが、昔はそれほどこういうことなかったんじゃないかなという感じはしますよね。

MIGAKU対談01_国立環境研究所 江守正多さん
今後さらに必要になってくること
大切にしたいことは、
「独立」と「内省」と「対話」

岡本

「SNS」の、いわゆる「デジタル世代」って言われている子どもたちの中で、情報が、昔はある程度探しに行かないと取れなかったものに対して、今は溢れてしまっているので、「何を信じればいいのか」という、「最初に見てしまったものが全て自分の中の正しい情報である」というふうに、思考が止まっちゃっている子どももすごく多いと思うんですけれど、そういう場合、江守先生から見て、どのようにそういう子どもたちが持ってしまっている情報の偏りをなくせると思いますか?いわゆるデバイスはもうみんな持ってしまっているので、簡単にアクセスできる分、「新しい対極にある情報を取りに行く」って意識がないと取りに行けなくなっちゃっていると思ったんですけど、その辺りはどう思いますか?すごく難しいと思うんですけれど。

江守

どうしたらいいんですかね。プラットフォームの方で、ノイズを入れるような設計にするとか、して欲しいなって気もしますよね。

岡本

一個だけに集中しちゃう子どもたち、偏りが前よりものすごく大きくなったと感じていて、先ほどのチェルノブイリの話に連動するんですけど、昔から多種多様な考え方があって、答えが多様である社会というのが、片方であると思ったんですよね。それって、今も変わっていないと思っている中で、どんどん今、VUCAという時代に入ってきたって言われていますけど、このコロナで一気に先が見えない混沌としたもの、悲観的なものの意見が多くなってしまっていますが、そういう時代が到来していく中で、昔と違って、今、SNSが発展して、デバイス、ガジェットがいっぱいあるようになって、一人一台でテレビを持っている、テレビ以上のものを持てるようになったと。そうなってくると、自分でも発信して、もうグレタさんのように、世界規模に発信する人間も出てくるっていう、いわゆるパーソナルメディアからマスメディアに彼女は化けていくわけだと思うんですけれど、こういった状況の中で、世の中が変わってきているって言っても、昔から変わっていないものと、その時代的にテクノロジーで変わってきたものがある。この中で、子どもたちが今から求められる能力とか、もしくは学校であれば指導者にとって求められる能力っていうのも、やっぱり僕は変わっていかなければいけないんじゃないかなっていうのが、いつも考えているんですけど、江守先生から見て、教育とは全然違う畑の中から見て、どのように変わっていくべきかとか、そういうことをお考えなのかというのをお聞きしたいなと思います。

江守

そうですね。あの、僕が最近考えているのは、これは時代が変わってきたから必要になったというよりは、僕の中では昔から変わらず必要であって、時代が変わっていくとさらに必要になるような、自分が大事にしたいことっていうのを最近三つ考えたんですけど、一つはですね、「独立する」っていうことですね。インディペンデントであると。多くの人は、組織に多かれ少なかれ所属するんですけれども、その時に、「組織に所属しているけれど、自分は自分だ」っていうふうに思い続けることっていうのが、僕はすごく大事だと思っていて、それはある意味、いつでもやめてやるっていう気概を持ち続ける自信を持ち続けるみたいなものかもしれないし、組織の論理っていうか、組織の存続のために自分の判断を曲げるとか、組織の利益のために自分の判断を曲げるとか、そういうことをしないで生きていくということを意識するっていうのが、僕の中で、前からそう思っていたんだけど、今の時代になって重要性を増している感じがしています。もう一つは、「内省」って言っているんですけど、内側に省みるの「内省」ですね。「リフレクション」ですけれども、これが今まで以上に大事になっている気がしていて、「自分は本当にこれでいいのかって常に問い続ける」というか、「自分の中の違和感にちゃんと耳を傾けられるようになる」というか、それがすごく大事な感じがするんですよね。それっていうのは、やはり、外から与えられた、「これが大事だっていう価値」があって、それが盲目的になりやすいんだと思うんですよね。これは昔からそうだったと思うし、これからも、何が正しいかわからないのだけれども、やはり、多様な「これが正しい」っていうのが、例えばネット上で提示される中で、自分が一つ飛びついて決めたものっていうのに、それはそれで盲目的になりやすいリスクっていうのはあるんじゃないかと思うんですけれども、その時に、なにかこう、「常に自分の内面と対話ができるか」というか、そのことはすごく大事だと思う。これが二つ目で、三つめは、今もちょっと使っちゃった言葉ですけれど、「対話」ですね。「対話力」。これは自分が話すだけじゃなくて、人の話を聞くことなんですけれども、それはどういうつもりで聞くかって言うと、やはり人は多様であって、違う人は自分と違う立場だったり価値観だったり、それを持っていて、その人にはその人の言い分があるはずで、まずそれを理解しなくちゃいけないと。それで且つ、自分は場合によってはすごく正しいことを喋っているつもりで、主張する時っていうのがあるかもしれないけれど、自分は自分で常に何らかのバイアスがかかっていると。自分も何らかの立場を持っていて、何らかの価値観を持っているということで、これはさっき言った「内省」につながっていくんですけれども、それを前提としながら、「自分と異なる立場や価値観を持っている人と、双方向的に対応すること」、これが大事だという。この「独立」「内省」「対話」っていうのは、最近何かこうちょっと自分で考えていて、三つ大事だと思ったことなんですよね。

岡本

その三つって、多分、今の教育の現場でもすごく求められていて、子どもたちに力をつけさせたいと思って、皆さん苦労したりとかですね、プログラム開発をしたりしていると思うんですけれど、昔はいわゆる教科書的なものをそのまま、いかに早く効率よく進められるか、いわゆるまだ「課題」があったときは、その課題を解決するための能力っていうものだけが求められてきて、いかに早く正確に解くかっていうことをしてきたわけですが、今はその課題を自分で見つけなくてはいけない、自分自身で問題自体を見つけて、課題を設定しなくてはいけなという時代になってきたわけですよね。例えば、江守先生の今の領域でいくと、地球温暖化の問題もいくつかにセグメントされ、いろいろな分野に分かれていく。その中でもまた問題がそれぞれにあって、その中の課題というものがあるわけですよね。その課題を、今まではなんとなく「与えられていた」ものから、「自分で作らなくちゃいけない」能力が必要になっている。いわゆる「答えがたくさんある」ものの中で、「1+1の教育」から「X+Yの教育」へと、子どもたちの取り組みを変えていかなければいけない時代にもなってきていると、教育の中では僕はそう感じているんですね。これって社会では当たり前のことで、ところが学生時代っておそらく大学に入る前までは、1+1の教育追求っていうのが多いままなのではないかと思うんですが、この辺って教育の畑じゃないところから見られていて、江守先生はどう感じられますか?

江守

それはねえ、もう分からないですね。子どもが今、大学受験なので、見ていると、やっぱり、知識として、あるいは論理的な思考として、マスターしなくちゃいけない、あるいはしておいた方がいい内容っていうのは、結構膨大にあるわけですよね。なので、それをやらなくていいから、創造的な思考をしましょうというのは、ちょっと簡単にそう言っていいのかどうかも分からないなって感じがするんですよね。なので、従来型の勉強っていうか、受験勉強的な勉強っていうか、それはそれでやるんだけど、やりながら、その中にどう創造的な側面っていうのを両立させていくか、ということの課題を見ているような気がしながら、うちの子どもの受験を見ているんですけれど。一つ、見ていて面白い現象は、現代文とかですね、英文読解とかの題材になっている文章っていうのが、結構考えさせる話があって、それを問題を解くために読むというよりは、その中身に興味を持ったりとかすると、結構いろいろなことを考えるきっかけがそこに与えられているなっていうふうには思っています。それだけじゃ不十分なのかもしれないですけれども、それをきっかけに、例えば、親といろいろな話をしたりとか、友達といろいろな話をしたりとか、今日の現文でこんな文章読んだんだけど、これなんかすごく、こんなこと思っちゃったんだよねっていう話とかを、想像的に話ができたりすると、一つのいいきっかけにはなるのかなっていうふうに思うんですけどね。

岡本

すごくわかります。「両輪」だと、僕も思っていて、決して「1+1の教育」を否定しているわけはなく、これがないと多種多様なものの課題が見つけられないし、見つけても回答をすることができなくなってくるとは思うんですよね。でも、今、先ほどとも少し重なってしまうんですけれど、デジタルの発展、テクノロジーの発展によってとか、SNSによって、教育だけじゃなく子どもたちのあり方、社会的な違いっていうか、あり方も変わってきているように見えていて、その現場の中で、今からどのように学校とか教育の現場が変化していくべきかって、先ほど江守先生からも言われていたようなことも若干関係があるとは思うんですけど、どう教育は変わっていくべきか、例えば、江守先生の下について研究をしたいとかっていう子たちがいた時に、将来、彼らに来てもらうにあたり、今やっておくべきこととか、学校の場とか教育がどう変わっていくべきかっていうのをお聞きしたいです。

江守

これもわからないんですけども、一つ思ったのは、アウトプットする機会というか、アクションをする機会っていうか、それがやはり、受験勉強している子どもを見ていると足りてない感じはしますよね。それでね、たまたま環境教育をやっている同僚と一緒の研究グループに入れてもらっていて、それで、デンマークだったかな、その環境教育の人とオンラインで議論した時があったんですけど、その時聞いていて、学校で環境プロジェクトみたいなものをやるんですよね。それで、必ず、各学年、まさにさっきおっしゃっていたように、課題を見つけて、それの課題に取り組むんですよ。それっていうのは、「じゃあみんなでペットボトルを回収しましょう」とか、そういう、「みんなでやればなんだかやった気がする」っていうのではなくて、例えば、「生態系というか、それが本来あるべきものが破壊されている状態があって、それをなんとか再生したい」とか、しかしそこには、学校側の事情だとか、近所の会社の事情だとか、いろいろな事情があって難しいと、それをなぜ難しいかといことを自分たちで調べて、どうしたらいいかといことを議論して、最終的にそれを提案しに行くと、それを学校の校長先生なのか、市議会に行くのかとか、こういうふうにしたいということを「提案」しに行くところまでがプロジェクトだというんですよね。そういう、実際に問題を見つけて、それが難しい問題であるということを理解して、世の中の多くの問題がなんで問題かというと、簡単には解決できないから残っているわけですよね。それがなぜ難しいというのかというのを理解して、じゃあどうしたらいいのかっていうのを自分たちで考えて、それを最後、もしかしたらその「変える」判断をしてくれるかもしれない人に届けるっていう、届けてもそれは、叶えられる場合と叶えられない場合があるかもしれないですけども、それをプログラムとしてやっているんだというのを聞いたことがあるんですよ。日本で言うと、僕がよく知っているのは、いわゆるグレタさんに感化されたというか、ムーブメントに参加している「Fridays for future」の学生の人たちを見ていると、日本政府に、「日本の排出削減目標を高くしてください」ということを言いに行ったりとか、そういうアクション、そうじゃなくても例えば、「学校の電気を再エネにしてほしい」ということを学校に提案するとか、そういうアクションっていくつか出てきているように見えるんですけれど、そういうことだとか、実際に「提案する」ところまで持っていくような、アクションというかアウトプットというか、それをする機会っていうのは、「そういうふうにしなくちゃだめです」って与える形で、プログラムとしてでもいいので、あった方がいいのかなっていう感じがしましたね。

これからの教育として、アウトプットする機会は大切だと思います。
アウトプットの定義は「発表すること」ではなくて、「変える提案」。

岡本

今の話を聞いていて、僕も思ったのが、学校が、特定のどこの学校というのではなくて、普通に学校でやっているものも、最後にプレゼンテーションをして終わってしまって、結果的にフィールドワークに行ったけれど、アウトプットの定義っていうのが、「発表することがアウトプット」ってなっちゃうんですよね。

江守

そうなんですよ。「こういう風に考えましたー。」「以上です。」「よくできました。」というね。そうじゃなくて、これを「変えろ」と言いに行くというね。

岡本

そうなんですよね。そこってなかなか、日本の弱い所って言ったら変なんですけど、決められたルールの中で動くいうことは得意かもしれないんですけど、ルールを「変える」とか、ルールを「作る」ことは、やっぱり日本人はすごく弱いなって思うんですよね。

江守

うまくいった場合には、成功体験になって、「ルールは声を上げると変えられる」というふうに思って大きくなっていく子どもが増えてくるかもしれないわけだし。

岡本

そうですね。その辺りっていうのは、小さいうちからの教育でしか変えられないとすごく思っていて、それをトレーニングできる場としては、学校って一つの最適な場所だとは思っているんですよね。ぜひ、今日の江守先生のお話を聞いて、学校の指導者とか生徒たちも、変わってもらえるきっかけになってくれたらすごくいいなあ思います。
最後に江守先生からメッセージとして、漠然としたものではなく、子どもたちに何か今メッセージを与えるとして、自分のお子様をイメージしていいですけど、最後メッセージを送っていただけるとありがたいなと思います。僕は、子どもたちしか変えられないと思っていつもやっているので。

江守

自分の子どもにはあまり言っていないんだけれど(笑)、今、僕は気候変動の問題を考えていると、皆さんが大人になる頃にはこのままだと大変だよと。昔、昔といっても、5年前ぐらいは、僕は、例えば小学生に話をする時には、「皆さんが大きくなったらこの問題をどうやって自分が貢献できるかって考えて下さい」と。「皆さんは無限の可能性を持っているんだから、政治家になってもいいし、科学者になってもいいし、技術者になってもいいし、それで、この問題を大きく変えてください」と、「今ちょっと省エネしたりとかということだけで満足するんじゃなくて、そこを考えてください」って言っていたんですけど、グレタさんが出てきて、それじゃ間に合わんって言われちゃったわけですよ。そうだよねと思わざるを得なくて。だから、もう、小学生も、大人になったらこれをやろうでは、ちょっと間に合わないかもしれない時代に入っていると。今、この問題に関心を持って、「やばい」というふうに思ったら、大人と話をして、何ができるんだろうかと、何を今の大人に変えてほしいんだろうかと、それを少なくとも一緒に考えたり、声を上げるっていって、小学生にみんなデモへ行けとまではいわないですけれど、そういう問題なんだと理解してくれる子どもたちというのが、ちょっとずつでも出てきてほしいなという感じはしています。

岡本

ありがとうございます。 今日の江守先生の話をお伺いしていて、改めて、今、先生の手元に「マグ」もありますが、こういう身近なところでできることと、僕の中でいつも印象的なのが、もっと大きい枠で変えてかなければいけないって、そのミクロもマクロも両方やってかなくちゃいけないんだなってのはいつも感じております。

江守

そうでうね。まあミクロはどっちかっていうと、どうでもいいんですよ。それは入り口であったり、あるいはみんなでやりましょうっていうメッセージであったり、そっちにこだわりすぎるとやってない人が今度は気になるので、それは別にどっちでもいいと思っているんですけど、むしろ、大きいことを、「仕組みをどうやって変えるか」、「ルールをどうやって変えるか」、それはもちろん簡単には変わらないんだけれど、どう声を上げるか、誰と話をするか、誰にどういうメッセージを届けるか、それを考えて欲しいなと思います。

岡本

すごくためになる話でした。ありがとうございました。
今日は、江守先生のお話をお伺いしました。本当にありがとうございました!

MIGAKU対談01

Today’s Expert

江守 正多 EMORI Seita

1970年神奈川県生まれ。
東京大学教養学部卒業。同大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。
1997年より国立環境研究所に勤務。 地球環境研究センター温暖化リスク評価研究室長等を経て、2021年より地球システム領域副領域長。連携推進部社会対話・協働推進室長を兼務。
2021年より東京大学総合文化研究科広域科学専攻客員教授。
専門は地球温暖化の将来予測とリスク論。気候変動に関する政府間パネル第5次、第6次評価報告書主執筆者。

Interviewer

岡本 弘毅 OKAMOTO Koki

教育のソリューションカンパニー、株式会社エデュソル 代表取締役。
特定非営利活動法人子ども大学水戸 理事長。
世界に羽ばたく「倭僑」の育成のため、従来の教育だけではなく、STEAM教育やSDG’s教育(ESD)、グローバル教育を中心に、3歳から社会人までの幅広い年齢にあわせた、様々な教育プログラムを提供している。また、子どものための大学を設立し、累計10,000人を超える学びの場を提供している。
2020年、株式会社電通、株式会社TBSホールディングスとともに、JVとして株式会社スコップを設立、実践的想像力を育むオンラインスクールSCHOP SCHOOLを開校。